したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

国際政治・世界事情

3349チバQ:2011/11/07(月) 20:04:51
http://mainichi.jp/select/world/news/20111105ddm007030169000c.html
迷走革命:/中 宿敵2人は元同志 反サレハ世論と直結せず
 「どうせ体制内の権力闘争で、腹立たしい」。多数の市民が死傷するイエメンの混乱について民主化デモの参加者で農業のナジフ・ムンタサルさん(33)は批判する。外資系企業勤務のサブリ・キャパンさん(37)も、「商売が成り立たない」と長引く騒乱にうんざりしている。

 混乱は表面的には大統領派と反大統領派の衝突だが、サレハ大統領の最大の「敵」2人は、かつては大統領の支持者だった。第1機甲師団司令官だったモフセン将軍と、大統領の権力基盤だった最有力部族連合ハシド族の幹部、ハミド氏だ。

 モフセン氏は60代半ばとみられ、大統領と同じ首都南方のサンハン村出身。複数の現地専門家によると、サレハ氏の権力掌握にモフセン氏が果たした役割は大きく、オーストラリアのイエメン研究者、サラ・フィリップス氏は、サンハン村有力者の間で「サレハ氏の後継はモフセン氏」との秘密の取り決めが結ばれていた、と米誌に書いている。

 サレハ、モフセン両氏の間に亀裂が入ったきっかけの一つは、北部の反乱だ。イスラム教ザイド派(シーア派の一派)の民兵組織「フシ」が04年、政府に反旗を翻したのに対し、北西方面軍管区の責任者だったモフセン氏が鎮圧に当たった。

 内部告発サイト「ウィキリークス」が暴露した米公電には、「大統領は達成困難な任務を与えてモフセン氏をつぶしにかかった」とのハミド氏の見方が紹介されている。大統領が長男アフマド氏に権力を継承するため、モフセン氏弱体化を画策した可能性がある。結局、モフセン氏は今年3月、デモ参加者の保護を名目に政府軍からの離反を宣言し、大統領の「敵」となった。

 一方、40代後半とされるハミド氏は、父アブドラ氏(07年死亡)が長年の大統領支持者だった。ハミド氏の石油利権をサレハ氏が取り上げようとしたことなどから、06年大統領選ごろからサレハ氏に敵対的姿勢をとる。ハミド氏自身の権力欲も絡み、09年8月には大統領追い落としに出る。「アラブの春」に触発された若者たちが民主化運動を始めると、携帯電話や石油関連事業で豊富な資金力を持つハミド氏が資金的な支援をしたとされる。

 こうして「反サレハ」の急先鋒(せんぽう)となった両氏だが、弱みは、国民の「反サレハ」感情が自分たちへの支持に直結しないことだ。モフセン氏のかつての配下部隊は、いまだに国防省から給与を受けている。ハミド氏は大統領選出馬の意向を持っているとされるが、自身の人気がどの程度か確信が持てない状況だ。

 こうした大統領派、反大統領派のこう着状況をイエメン人ジャーナリストのアリ・ハサン氏は「弱者の均衡」と表現する。今年1月以降の市民の犠牲者は1500人以上。かつての「同志」による仲間割れ的権力闘争の裏で、市民の犠牲だけは確実に増えている。【サヌアで和田浩明】

毎日新聞 2011年11月5日 東京朝刊


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板