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国際政治・世界事情

3198チバQ:2011/10/15(土) 21:23:04
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011101302000036.html
リビア首都 アブサリム刑務所ルポ
2011年10月13日 朝刊

収容されていたリビアの首都トリポリにあるアブサリム刑務所の房内で、当時を振り返るスーダニさん(右)=今村実撮影


 リビアの旧カダフィ体制下で、政治犯らを収容した首都トリポリのアブサリム刑務所。拷問や大量虐殺が日常的に行われ、恐怖政治の象徴となってきた。「みんな必ず殺されると思っていた」。8月下旬に反カダフィ派に救出されるまで収容されていた男性が現地を訪れ、絶望的な日々を振り返った。 (トリポリで、今村実)

 高さ数メートルの外壁に囲まれた広大な敷地に建物が立ち並ぶ。千数百人が収容されたという。その一つに入ると、集団房が二十ほどあり、ガラス片やごみが散乱してムッとする臭い。収容者が独学したのか、英単語を記した紙片が落ちていた。

 トリポリのエンジニア、モアイズ・スーダニさん(39)は七月二十六日にカダフィ派に突然逮捕され、「八号室」にぶち込まれた。反カダフィ派に加わった友人から携帯電話に一本の連絡があったというだけの理由で疑われ、裁判もなかった。

 十畳ほどの部屋で十人余が生活。食事は一日一回、マカロニなどを盛った皿や、ペットボトルの水が投げ込まれるだけ。他の場所で拷問を受ける収容者の絶叫が房の中まで聞こえてくる。同じ部屋の一人は背中を激しく打たれて戻ってきた。

 一度も外に出されず、日付の感覚がなくなることに不安を覚えて毎日、プラスチック片で壁に傷を付け、カレンダー代わりにした。ある日、ペットボトルのデザインが変わった。「反カダフィ派の攻勢で工場が止まったからじゃないか」。微(かす)かな光明が差したという。トリポリ陥落直後の八月二十四日、救出にきた反カダフィ派が錠前を一つずつハンマーで破壊。約一カ月ぶりに外に出ると、涙が止まらず、誰彼となく固く抱き合った。

 自分のいた場所をもう一度確かめようと、今月四日に再び足を踏み入れたスーダニさんは、壁にあのカレンダーを見つけた。「親類や友人もなすすべがない状況だった。外に出られたのは神のおかげだ」とつぶやいた。

 建物にはカダフィ批判の落書きがあふれ、「自由の代償は高かったが、リビア人は払った」の一文も。死亡した収容者約二十人の名前も記されていた。

 所内で出会った別の男性(56)は「ここだけではない。独裁者の下で国民はリビアという大きな刑務所に入れられていた」と語った。


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