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国際政治・世界事情

2859チバQ:2011/07/28(木) 23:03:28
 一方のサマラス氏は外向的な保守主義者で、国家主義的な発言を繰り返してきた。同氏は国際的な救済策はギリシャを没落させると強調し、徹底的な減税が成長を促すと訴える。欧州連合(EU)や国際通貨基金(IMF)は、同氏の提案は「非現実的」だとの見解を示している。

 サマラス氏がこのまま主張を貫けば、今秋にも選挙が行われ、両氏が対決する可能性がある。政治的な混乱によってEUとIMFの支援を阻害し、ギリシャの緊縮策の実施が危うくなる恐れもある。

 ここ1年以上、パパンドレウ氏は欧州によるギリシャ救済計画の中心的役割を果たしてきた。この間、ギリシャは増税と歳出削減により巨額の赤字の縮小に努めてきたが、痛みは社会の奥深くまで広がっている。失業率は危機前の2倍となる16%に達し、企業活動は瀕死の状態だ。元々は組合主導で行われていたアテネ市内の抗議活動には、怒った中間層も加わるようになった。絶望的なムードが、より痛みの少ない政策を約束するサマラス氏への支持を盛り上げている。

 パパンドレウ氏とサマラス氏は正反対の気質だが親友同士である。サマラス氏のある側近は、両氏が映画館の前で偶然出くわしたときの様子について語ってくれた。2人は挨拶もせず、あたかもそれまでずっと話し込んでいたかのように会話を始めたという。

 59歳のパパンドレウ氏と60歳のサマラス氏は少年時代、ギリシャのエリート養成校として知られる私立のアテネ・カレッジに通っていた頃からの知り合いだ。

 サマラス氏は愛国的な家庭で育った。一族で最も著名な人物は曾祖母のペネロペ・デルタだろう。著名な作家だった彼女は1941年、ドイツ軍が侵攻しナチスのかぎ十字をアテネ中に掲げたその日に自ら命を絶った。

 パパンドレウ氏は米ミネソタ州で米国人の母親のもとに生まれた。華々しい政治家の家系の一員だ。同じ名を持つ祖父のヨルゴス・パパンドレウ氏は、穏健派の政治家だった。父親のアンドレアス・パパンドレウ氏は著名な経済学者から、ギリシャの貧困層を擁護する左派の扇動的指導者となった。

 1967年、パパンドレウ家の政党が勝利するとみられていた選挙を前に、その勝利を阻もうとギリシャ軍高官らによるクーデターが起き、一族はスウェーデンや北米に亡命した。

 1970年代前半、パパンドレウ氏はアマースト大学で一般教養課程の学生として、サマラス氏を含む数人のギリシャ人学生らと友好を深める。彼らに影響を与えた当時の政治的環境を特徴付けていたのは、「ヒッピー、ベトナム戦争、革命、ニクソン、ウォーターゲート事件、そしてあらゆる種類の変革を呼びかける書物」であったと、サマラス氏はWSJとのインタビューで語っている。


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