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国際政治・世界事情
2797
:
チバQ
:2011/07/13(水) 19:20:52
財政の半分以上を石油に頼る北部政府は南スーダンの分離で歳入の大幅減が必至。南側との交渉で石油収益の5割を要求しているとも言われる。
石油交渉に展望が開けない中、独立直前の6日に南部自治政府のマナカ道路交通相は隣国ケニアに通じるパイプライン建設に向け、複数の企業と交渉を進めていると表明、「建設は容易だ」と強調した。ケニア側ルートの具体化は北部の死活問題に直結するだけに、南北の新たな火種になりかねない。
■頼りは中国
北部のバシル政権が米国から「テロ支援国家」に指定され、経済制裁を受けているのとは対照的に南スーダンは欧米との関係が良好だ。特に多大な援助を続けてきた米国については「南スーダンの石油利権確保の狙いが背景にある」(地元記者)との見方が支配的だ。
中国の関与も目立つ。
バシル大統領は南スーダンの独立直前の6月、石油開発を通じ結び付きの強い中国を訪問、さらなる関係強化をアピールした。ハルツーム大のハサン・アハメド教授(政治学)は「減少する石油収益は(新たな)油田や鉱山開発で取り戻さなければならない。頼れるのは中国だけだ」と指摘する。
(南スーダン・ジュバ、スーダン・ハルツーム 共同/SANKEI EX PRESS)
◇
■南スーダン共和国 面積は64万4000平方キロ。人口は826万人(2008年調査)。住民の大半はキリスト教や伝統宗教を信じる黒人で、最大民族はディンカ。スーダン北部のアラブ系イスラム教徒主導の中央政府が1983年、イスラム法を全土に導入したのをきっかけに南北内戦が発生。サハラ砂漠以南のアフリカで最長、最大規模の内戦となり、包括和平合意(CPA)が結ばれた2005年までに約200万人が死亡した。CPAの規定に基づき今年1月、南部独立の是非を問う住民投票が行われ、98%以上が賛成し、アフリカ54番目の国家誕生が決定。7月9日に独立した。
◇
≪南スーダン独立をめぐる主な経過≫
1956年
1月 スーダンが英・エジプト共同統治から独立
83年 北部のアラブ系イスラム教徒主導の政府がイスラム法を導入、南部の黒人キリスト教徒主体のスーダン人民解放軍(SPLA)と内戦に
93年 バシル大統領就任
2005年
1月 政府とSPLAが包括的合意に署名し内戦終結
7月 6年間の移行期間開始。SPLA指導者のガラン第1副大統領がヘリコプター墜落で死亡
9月 統一内閣発足
09年 西部ダルフール紛争をめぐる戦争犯罪で国際刑事裁判所がバシル氏に逮捕状
10年
4月 バシル氏が大統領、サルバ・キール・マヤルディ氏が南部自治政府大統領に再選
11年
1月9〜15日 南部独立の是非問う住民投票
2月7日 住民投票管理委員会が独立賛成は有効投票の98.83%との最終結果発表、南部独立確定
5月21日 係争地アビエイ地区を北部軍が制圧
7月9日 南部が独立し南スーダン誕生
(SANKEI EXPRESS)
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