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国際政治・世界事情
2796
:
チバQ
:2011/07/13(水) 19:20:19
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110713/mds11071310250000-n1.htm
南スーダン共和国独立 「ついに自由だ」歓喜の南、落胆の北
2011.7.13 10:23 (1/5ページ)
クリックして拡大する
SANKEI_EXPRESS__2011(平成23)年7月13日付EX(16、17面(見開き))
■シーン1
「ついに自由だ」。凄惨な内戦を乗り越え7月9日、分離独立を果たした南スーダン共和国。苦難を耐え忍んできた住民の表情は歓喜一色になった。一方、北側のスーダンの首都ハルツームでは、油田を多く抱える南部の独立に落胆の声も聞かれた。
独立記念式典は新首都ジュバの墓地周辺で行われた。内戦時の南部のカリスマ的指導者が眠る場所だ。数万人が砂ぼこりが舞う広場に集まり、新国家の旗を振る。サルバ・キール・マヤルディ南部自治政府大統領が初代大統領への就任を宣誓すると、興奮は最高潮に達した。
内戦中に生まれた学生、アブラハム・モニジョックさん(20)は5歳から家族と共に10年間、避難民生活を送った。南部のスーダン人民解放軍(SPLA)の兵士だった父親は戦闘で死亡。「過去の悲しいことは忘れよう」と前を見据えた。
独立によりスーダンは国土の4分の1を失った。ハルツームでは、バシル大統領の肖像を掲げ「新スーダン」の出発を祝うパレードも行われたが、7〜8割の油田を抱える南が分離することで、将来への不安が広がる。
大学生のサハ・ハシェムさん(20)は「もう外国製のおしゃれな服が買えなくなるかも」とこぼした。
■シーン2 治安、貧困、石油利権…「新国家」険しい船出
7月9日に誕生した南スーダン共和国では、20年以上に及んだ内戦を乗り越えた住民の表情は、独立を手にした高揚感にあふれる。だが、不安定な治安や貧困、人材不足など難題が山積、新国家の前途は険しい。
■武装解除進まず
内戦の荒廃から早期の復興・開発を進めたい南スーダンにとって、治安安定は最大の課題の一つだ。
内戦後、和平合意に基づいて、南北で戦闘員18万人の「武装・動員解除、元兵士の社会復帰」(DDR)計画が日本政府の支援も得て進められてきた。しかし、国連関係者は「南側のDDRは進んでいない」と指摘、市中に出回ったままの武器の存在に懸念を示す。
南スーダンでは今年に入り、国軍となるスーダン人民解放軍(SPLA)と、敵対する武装勢力との戦闘などで市民2300人が死亡した。独立達成に伴い、SPLAが求心力を失い、内部対立が顕在化することも懸念されている。
日量50万バレルを産出するスーダンの油田の7〜8割は南スーダンに集中している。石油パイプラインは現在、北部を通り紅海に抜けるルートしかないため、南スーダンは今後も北部側と石油収益を分け合う必要がある。
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