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国際政治・世界事情
2701
:
チバQ
:2011/06/21(火) 22:46:51
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110620/erp11062017580006-n1.htm
【ソ連崩壊20年 解けない呪縛】
第3部 強権への序章(中) 資本主義が世代を分断した
2011.6.20 17:55 (1/3ページ)
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ソ連崩壊前の1990年、食料品を求めて長蛇の列をつくる人々(国営ロシア通信)
大学ノートよりやや小さめの紙には、ロシアの国章「双頭の鷲」が押されていた。バウチャー(民営化小切手)などと呼ばれるこうした紙が、人々の運命を大きく変えた。
「記念にあげる。配当金が請求できるわよ」。ソ連時代、“欧州への窓口”として栄えた露西部サンクトペテルブルクのアパートの一室。動物学者のワレンチーナさん(69)は、そう冗談を言って笑った。
末期のソ連は生産性低下や農業不振などの問題が一気に吹き出して、国民生活が困窮。エリツィン政権は1992年、急速な市場経済導入を目指して国営企業の民営化に着手した。国営企業の株式購入に使える額面1万ルーブル(同年6月時点で推定約1万円相当)のバウチャーを国民1人ずつに無料配布したのだ。
ところが、市場経済とは何かを理解しない人々は「半リットルのウオツカや、いくばくかの金と引き換えにバウチャーを売った」(ワレンチーナさん)。やがて莫大な数のバウチャーや株式を買い集めた少数の者たちが、国じゅうの生産工場や商業施設の所有者となる。
オリガルヒ(新興寡占資本家)と呼ばれる大富豪の中には、こうした混乱に乗じて財を成した者もいる。「国の資産を盗んだ」として、彼らを忌み嫌う高齢者は少なくない。
□ □
「ソ連崩壊は中年以上の層にとって半生を全否定されたようなものだった」とワレンチーナさんはいう。
質の高い教育と医療がほぼ無料で受けられたソ連では、食費も安く、真面目に働けば狭くとも家族が一緒に住める部屋が得られた。
ところが、エリツィン政権はソ連崩壊後の92年1月、国家の価格統制を撤廃し1年で物価は26倍に跳ね上がった。93年は8倍、94年は2倍(いずれも前年比)とその後も上昇し続けた。
「貧しくともみなが平等」だったソ連は「金がすべて」のロシアに取って代わられ、重んじられたモラルや秩序も崩れ去った。ワレンチーナさんは「今でも共産党に一定の人気があるのは、古き良き時代に戻りたい高齢者らが投票するからよ」と指摘する。
□ □
「ソ連崩壊で暮らしはよくなると信じ続けたが、何も変わらなかった。この20年は私には失望の時代。政治や政府をもう信じない」
サンクトペテルブルクに住むリュボーフィさん(55)は涙声で語った。大学で教えているが、月給は1万5000ルーブル(約4万3000円)。部屋は質素でダイニングキッチンは3人も座れば隙間もない。ソ連崩壊前の91年初めに結婚して以来、この部屋に住んでいる。
仕事から戻った夫は当時、不在の新妻を探してたびたび街を歩いた。妻は夕食の材料を求めて食料品店の長い行列に加わり、売り切れたら別の店で列に並ぶことを繰り返していた。
「家には、枕も皿も冷蔵庫も何もなかった。だけど私たちは若かった。チーズが買えればチーズの日だ、肉が買えれば肉の日だといって、近所の友人を招いてパーティーをしたものよ」
しかし、彼女の父親は違った。価格が自由化された92年1月のレート・1ドル=110ルーブルは96年には5000ルーブルを割り込み、娘のためにと嫌いな自動車工の仕事で貯めたお金は紙くずになった。ルーブル暴落で生きる気力をなくした父親は、病に伏せり97年に死亡した。
エリツィン政権下の急進改革で絶望に見舞われた父親の世代と、ソ連時代を知らない若い世代。その間の世代に位置するリュボーフィさんは、「世代によって環境が違いすぎて、だれにも本当のロシアの姿は見えないのではないか」と話した。(佐藤貴生)
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