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国際政治・世界事情

1とはずがたり:2005/05/23(月) 02:47:11
世界情勢・世界史ネタなど
軍事問題は安全保障論http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1043205301/l10を国際経済問題は国際経済学http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165061/l10を参照の事

1755チバQ:2010/12/05(日) 18:59:38
在コートジボワール大使・岡村善文・のブログより
http://blog.goo.ne.jp/zoge1/e/a761ac43ddae0a3ee8e5a8954fdbf91b
決選投票を占う
2010-11-22 | Weblog決選投票の11月28日まで、あと1週間を切った。選挙運動が、ふたたび開始された。そして、来週の今頃には投票が終わり、新しい大統領が決まるのを待っているはずである。

第一回投票で勝ち残ったのは、得票率38%のバグボ大統領と、32%のウワタラ候補の二人である。このどちらかの候補が、得票を50%にまで伸ばすためには、第一回投票で他の人に入れた有権者の票を、自分の側にどれだけ取り込めるかが勝負になる。とくに大事なのが、第三位で落選したベディエ候補の得票25%の行方である。

ウワタラ候補は、その25%は全部自分のところに来ると公言している。そして、32%+25%=57%なので、決選投票で勝つのは自分であると考えている。たしかに、ウワタラ候補の「共和連合(RDR)」と、ベディエ候補の「民主党(PDCI)」は、第一回投票の前に選挙協力を約束している。どちらかが決選投票に残れば、落ちた方は相手を支持するという約束である。

そして二人は、第一回投票に際して、他の諸派政党とともに、「民主主義と平和のためのウフエボワニ主義者連合(RHDP:Rassemblement des Houphouétistes pour la Démocratie et la Paix)」という長い名前の政党連合をつくった。ウフエボワニ主義者というのは、建国の父ウフエボワニ大統領の政治の流れを汲む人々という意味である。バグボ大統領は野党党首時代、ウフエボワニ大統領に抵抗して来た政治家だから、つまりはウフエボワニ主義者という表現は「反バグボ大統領」ということを言いたい。現職のバグボ大統領を落とすために、野党が連合を組んだわけである。

第一回投票の結果、第三位で落選したベディエ候補は、はじめはその選挙結果に不服を申し立てていたけれど、結局受け入れた。そこで、RHDPの決起集会が開かれ、ベディエ候補がウワタラ候補と並んで現れた。ベディエ候補は、決選投票においてはこれまでの約束通り、ウワタラ候補を支持することを再確認し、自分の支持者に対して、ウワタラ候補に投票するように求めた。

そうなると、決選投票の結果はもう初めから分っているようなものじゃないか。ウワタラ候補が、57%を得票して勝つのである。ところが、そう計算通りにはいかない、というところが選挙の常である。第一回投票でベディエ候補に投票した「民主党」の支持者たちは、決選投票でほんとうにウワタラ候補に投票するかどうか、これが必ずしも明らかではない。その理由は、おそらく3つくらい上げられるであろう。

1756チバQ:2010/12/05(日) 19:00:14
第一には、そもそもベディエ候補がウワタラ候補を支持する、という話が、コートジボワールの政治の歴史を知る人からすれば、眉唾である。話は1993年に、初代大統領のウフエボワニ大統領が逝去した時にさかのぼる。逝去直後、憲法上の規定から暫定大統領になるべきとされていた、当時のベディエ国会議長を差し置いて、当時のウワタラ首相が権限を掌握しようとした。混乱の後、結局ベディエが第2代の大統領になる。そしてベディエ大統領は、1999年にクーデタで大統領の座を追われるまで、ウワタラ元首相を目の敵にし、その政治復帰をとことん阻んできたのである。

そのためにベディエ大統領は、「象牙性」という概念を持ち出した。ウワタラ元首相はコートジボワール人ではない、だから大統領にはなれないのだ、という議論であった。この議論を援用して、ウワタラ元首相を徹底的に排除した。この「象牙性」の議論は、コートジボワール在住の外国人移民を排斥する動きになったのみならず、土地所有権などの問題において、北部の部族の人々への差別的な扱いに繋がった。この南北間の不和が、2002年のクーデタの背景にあると考えられている。

その張本人のベディエ候補が、何を変節したのか、ウワタラ候補と一緒に政党連合を組んでいるのみならず、よりによって彼が大統領に当選することを後押ししている、というのだ。もちろんバグボ大統領を落とすためには、敵の敵は味方ということだろう。しかし、昔からのコートジボワール政治を知る人々にとっては、たちの悪い冗談としか思えない。そんな筋の通らないことをしているから、第一回投票で25%しか取れないのだ、と責任論さえ出てきている。だから、ベディエ候補が「民主党」支持者に訴えても、支持者たちの心がもうベディエ候補から離れている、だから言うことを聞かない、ということはありうる。

第二は、そもそも「民主党」の支持母体であるバウレ族は、南部の部族である。心情として、北部の諸部族出身であるウワタラ候補を支持するよりは、同じ南部の部族を支持母体とする、バグボ大統領の「人民党」を支持するほうが、まだずっとすっきりくる。バウレ族はキリスト教徒であるのに対して、北部の部族はムスリム教徒が多い、というような理由だけではない。北部からの移民労働者のために、南部の農園での労働環境や土地所有権などが脅かされていると感じている。もしウワタラ大統領になったら、自分たちの権利が損なわれるのではないか、といったかなり具体的な不安がある。

その不安感は、バグボ大統領の「人民党」にとって狙い目である。ウワタラ政権になったら南部の農民は危ないぞ、というキャンペーンが功を奏するのである。さらには、あの国を南北に分断する危機をつくってしまった2002年のクーデタは、実はウワタラ一派が起した陰謀なのだ、そしてブルキナ人たちが国を乗っ取ろうとしているぞ、といった風説さえ流れ始めている。だから、ベディエ候補の支持層のなかには、ウワタラ候補とバグボ大統領の間の選択ということになったら、やはりバグボ大統領のほうが安全だ、という見方が広まる可能性があるわけである。

第三は、決選投票前に、それぞれの候補と政党による、激しい票獲得の攻勢があるということである。ましてや、今回は第一回投票の投票結果という数字がある。全国2万ヶ所の投票地区ごとに、どういう支持者の分布になっているか、誰の目にも明らかだ。だから、バグボ大統領の「人民党」側も、ウワタラ候補の「共和連合」側も、相手の弱そうなところや、ベディエ候補の得票が行先を迷っていそうなところを目がけて、いろいろな手で働きかけを進めるに違いない。それは、道路を舗装するとか学校を建てるとかの公約だけではない。買収かもしれないし、脅迫かもしれないし、まあ現場ではいろいろなことが起こっても不思議はない。その結果、どういう得票の分布になるのか。第一回投票の得票は、大きく組み替えになる可能性がありうる。

つまりは、決選投票の行方は、第一回投票の得票の足し算だけでは、簡単には占えないということである。ベディエ候補の得票25%の、半分がバグボ大統領に流れると、バグボ大統領の得票数が50%を越える計算になる。バグボ大統領がそこまで、ベディエ候補の「民主党」支持層を分断できるかどうかが、重要な鍵となっている。

1757チバQ:2010/12/05(日) 19:05:52
>>1709>>1721-1725
この大使は情報発信を行っていてえらいですね
本当はマスコミの仕事なんでしょうが
http://blog.goo.ne.jp/zoge1/e/b9c672727b2f4fb8491e8ccef0f24452
ギニアの決選投票
2010-11-24 | Weblogギニアの大統領選挙はどうなったのか。ギニアでも、今年の6月に第一回投票が行われ、50%を得票した候補がいなかったので、決選投票が行われることになった。その決選投票が、何度も延期された。最後に、10月24日に実施されることが決まった、というところまでは先日の記事に書いた。

その10月24日は、準備不足と治安情勢を理由に再び延期され、結局11月7日に決選投票が実施された。ところが、開票結果がなかなか発表されない。1週間余りさんざんやきもきさせた後、11月15日にようやく、選挙管理委員会によって開票結果が発表された。

アルファ・コンデ候補が、得票率53%で勝利。セル・ダーレン・ディアロ候補は落選、というのがその結果である。大逆転である。というのは、第一回投票ではアルファ・コンデ候補は18%しか得票していない。それが53%まで得票をのばした。一方のセル・ダーレン・ディアロ候補は、第一回投票では、43%も取っていたのである。

ディアロ候補は、この開票結果はとても受け入れられない、と声明して抗議行動に移った。11月16日には、首都コナクリ市郊外で、投石したりタイヤを燃やしたりして抗議していた人々が治安部隊と衝突し、死者7人、負傷者数十人が発生するという事件が起こった。さらには、ギニア中部のラベ県など、各地でも同様の衝突が発生している様子である。こうした混乱が拡大しないようにするために、ギニア暫定政府は、11月17日に非常事態を宣言した。

1758チバQ:2010/12/05(日) 19:06:11
残念ながら、ギニアの大統領選挙は、現在のところはまだ不安定な情勢が続いている。各地で衝突や騒乱が起り、人々は店などを閉めて閉じこもっているという。手続きの上からは、最高裁判所が不服申し立てを審査した後、「確定結果」を発表することになるらしい。12月2日に結果が発表されれば、それが受け入れられて情勢が落ち着くのか、あるいはそのまま衝突と対立が続いていくのか、今後の成り行きを見守る必要がある。

第一回投票で、18%しか取れなかったアルファ・コンデ候補が、どうして決選投票では52%まで得票を伸ばして逆転できたのか。国際監視団なども入っているけれども、開票結果に大きな操作や捏造があったというような報告は聞いていない。であるとすれば、これこそ部族間の対立感情が、大きく表にあらわれてきた結果である。つまり、第一回投票で43%を得票し、決選投票で当選を決める確率が大いに高まったセル・ダーレン・ディアロ候補に対して、部族対立に起因する危機感が強く作用して、票がアルファ・コンデ候補のほうに流れたからであると分析されている。

セル・ダーレン・ディアロ候補は、「プル族(Peuls)」から出ている候補である。この人々は、遊牧民族として外来の文化を持ち、牧畜業や商業などに従事し、イスラム教徒が多い。おそらくギニアにおける最大民族(約40%と推定)であり、商業活動などを通じて経済を支配する力を持っている。この「プル族」に対して、古来からギニアの地に定住している「スス族(Sousou)」と「マレンケ族(Malinke)」は脅威を感じており、それが嵩じて、初代大統領セク・トゥーレ(マレンケ族出身)は、徹底的に「プル族」を弾圧した。第2代大統領ランサナ・コンテも、スス族出身であり、「プル族」はずっと冷や飯を食ってきたわけである。

もし、ここで「プル族」出身の大統領が出たら、どうなるだろう。おそらく、過去50年にわたる歴史を踏まえれば、報復に出るのではないか。「スス族」と「マレンケ族」の人々の間に、そういう恐怖感が生じたことは十分考えられる。また、弾圧の期間を通じて、多くの「プル族」の人々が、国外に逃亡した。たとえば、ここアビジャンでも、タクシーの運転手の3割以上が、「プル族」の人々であると言われている。それらの人々が、大手を振ってギニアに戻って来るかもしれない。それは、「スス族」と「マレンケ族」の人々の既得権益を脅かすことになる。

だから、決選投票では、「プル族」以外の全ての部族の票が、アルファ・コンデ候補に集中した。それだから、アルファ・コンデ候補が52%の大逆転を成し遂げることができた。決選投票の結果について、とりあえずはそう分析されている。その分析が正しければ、決選投票を通じて、古くからの部族対立の構図を、再度確認するような結果になった。それだけではなく、このようにセル・ダーレン・ディアロ候補の側、つまり「プル族」の誰もが、選挙結果を見て、他の部族に押しつぶされたと感じるようであれば、対立感情はいつまでもしこりを残すだろう。悪くすれば、このまま国の分裂が深まっていくことにもなりかねない。

このようにギニアでも、選挙がかえって国民の間の亀裂を深めてしまう、という結果を生んでいる。コートジボワールでは多くの人が、こういったギニアの轍を踏まないように願っているのである。しかし現実は、今週末の投票日に向けて、どうも国民の亀裂を深めていくような様相で、たいへん心配である。

それにしても、国民が日常の生活のなかで部族の差を薄め、平和に国民融和を進めても、5年ごとに訪れる大統領選挙が、否応なしに部族対立を再燃させる。部族社会であるアフリカの現実を踏まえれば、アフリカの人々が部族対立を越えた国民意識を身に付けることを待つのか、それができないのなら、選挙制度ひいては政治制度を再考するしかないのかもしれない。

1759チバQ:2010/12/05(日) 21:12:02
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/11/post-1833.php
正念場サルコジが狙う2匹目のドジョウ
Sarko's High Hopes for G20 Post

国内での人気低迷に苦しむ大統領は、G20の新議長役で得点を稼ぎたいところだが、EU議長役で外交手腕を発揮した08年のようには行かない

2010年11月29日(月)14時57分
トレーシー・マクニコル(パリ)
[2010年12月 1日号掲載]

 2012年に行われる大統領選では再選が危ぶまれるフランスのサルコジ大統領。大規模な反発を招いた年金改革の法制化を実現した今、失地回復に乗り出したようだ。

 まずは保守層の支持基盤を強化するため、内閣改造に着手。07年の大統領就任時、派手に連携してみせた左派の閣僚たちをあっさり政権から追い出した。

 さらにG20の議長として1年間の任期が始まったことから、国際舞台で際立つ成果を挙げて国内での支持率回復を狙っているらしい。08年のEU議長就任で指導力を発揮したときと同じ手段だ。

 しかしカリスマ性を前面に押し出して支持を得るという作戦は、厳しいスタートを切った。

 国民が高い期待をかけてきた内閣改造は結局、サルコジの弱点を露呈する結果に終わった。公言していた新首相の指名はなく、サルコジが支持を必要とする中道派の人々の怒りを買った。さらにシラク前大統領の右派仲間を入閣させたことで、「過去との決別」という自身の哲学まで捨てたと見なされてしまった。

08年にはEU議長役で人気を回復
 G20の議長として国民の喝采を得られるという保証もない。確かに08年にEU議長を務めたときは、既に死に体だった米ブッシュ政権から国際政治の主役の座を奪い取った。ロシアのグルジア侵攻では素早く停戦をまとめ、世界的な金融危機が発生したときにも迅速な対応を取った。

 だが現在の米オバマ政権は中間選挙で苦杯をなめたとはいえ、死に体には程遠い。しかもサルコジがG20の議長として、例えば国際的な通貨制度改革のような重要な目的を達成しようとしても、アメリカや中国を従わせるのは不可能だ。そのことは、彼自身もよく分かっている。

 EU議長時代に、サルコジが予期せぬ世界的危機に臨機応変に対応し、その即応力で名を上げたのは事実。大統領選が迫る今、サルコジは自ら進んで、世界の大問題を取り仕切る役目を買って出たわけだが、リスクも大きい。なかなか勇気の要る賭けだ。


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