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国際政治・世界事情
1547
:
チバQ
:2010/08/10(火) 21:35:43
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/100810/mcb1008100504020-n1.htm
ベルルスコーニ伊首相 盟友離党で与党分裂 不安定な政権運営、総選挙含み2010.8.10 05:00
べルルスコーニ首相(左)とフィーニ氏。同氏の離党は双方に大きな痛手を残す結果となった。(ブルームバーグ)【拡大】
イタリアのベルルスコーニ首相とともに中道右派勢力を確立させてきたジャンフランコ・フィーニ下院議長が7月29日、与党・自由国民党(PdL)から除名された。首相とフィーニ氏双方の求心力、ひいては同勢力の衰えにつながる可能性がある。下院(定数630)では与党が過半数割れに追い込まれ、首相の政権運営能力は大きく損なわれるだろう。ベルルスコーニ政権は、9月にも内閣の信任を問う方針だ。
◇
≪分析≫
ベルルスコーニ首相はフィーニ氏と連携して1993年に中道右派勢力を確立し、現政権を含めて3度首相を務めた。もともと同首相はフォルツァ・イタリア党、フィーニ氏は国民同盟(AN)の党首だ。2008年の総選挙で両党は候補者の連結名簿を作成し、09年に合併した。
◆緊張関係が頂点に
しかし、両氏の間には長く緊張関係が続いており、今回のフィーニ氏の離党でそれが頂点に達した格好だ。この緊張関係の本質は、フィーニ氏が高齢のベルルスコーニ氏からトップの座を譲り受けることがあるのか、あるならばそれはいつかという点であった。
また近年では、下院議長というフィーニ氏の立場も、ベルルスコーニ氏との対立の原因となった。下院議長は政府と野党の間に立って公平でなければならないし、法の原則や合憲性、市民の自由を守るという制度上の責任があるからだ。
今回の離党で、失うものが大きかったのはフィーニ氏の側である。同氏が党の主導権を引き継ぐ可能性は小さくなっただろう。同氏の支持者の何人かは、今はベルルスコーニ氏側についた。08年選挙で当選した下院議員は、AN系の約90人に対しフォルツァ・イタリア系が175人前後だった。今回フィーニ氏に従って新党に参加するのは、35人の下院議員と10人程度の上院議員にとどまる。これは下院で与党を過半数割れに追い込むのに十分な数で、原則上は内閣を打倒することも可能だが、やはり作戦は成功しなかったといわざるを得ない。
◆支持率なぜか高水準
ベルルスコーニ政権が存続した場合、同政権は不遇だった中道左派のプローディ内閣(06〜08年)と同じような状況になるだろう。政権の中核はPdLとウンベルト・ボッシ氏が率いる北部同盟(NL)が連立して担う見込みだが、それでも下院では過半数に届かない。たとえ法案ごとに野党の協力が得られたとしても、政府の政策推進力は大幅に不足するだろう。
夏季の議会休会に突入する前に危機を打開できない場合、ベルルスコーニ首相の最初の大きな試練は秋にやってくる。NLが強く主張する財政連邦主義をめぐる法案の審議だ。もしこれが成立しなければ、NLのボッシ党首は総選挙に訴えることを辞さないだろう。
ベルルスコーニ首相も、不安定な政権運営に苦しむよりは、今秋か来春に選挙を実施することを選ぶかもしれない。首相の支持率は、最近のスキャンダルにもかかわらず高水準を維持している。場合によっては、同首相はフィーニ氏の離反を口実にしてすぐにでも選挙を実施し、自らの悪い評判から関心をそらせようとすることもあり得る。
この点を考慮すると、フィーニ氏の新党にはジレンマがある。同氏の同調者は、08年の選挙でPdLの公認候補として当選した経緯がある。首相に追放されたのだと主張したとしても、有権者の負託に背いたと責められれば分が悪い。中道右派の有権者の支持をめぐって争った場合、ベルルスコーニ首相はフィーニ氏を抵抗勢力と印象づけて戦うことができるだろう。
◇
≪結論≫
フィーニ氏のPdL離党がもたらしたイタリア政権の危機は、いまだ初期段階にあり、方向性がはっきりするまで数カ月間にわたって長引く可能性がある。ベルルスコーニ首相は、総選挙に訴えることでより強固な過半数を獲得し、危機を脱するかもしれない。しかし、対立政党が弱いとはいえ、20年近くも党のトップに君臨し続けてきた同首相の政治的資産には衰えもみられる。(オックスフォード・アナリティカ)
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