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国際政治・世界事情

1175チバQ:2010/02/08(月) 22:18:58
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20100205ddm007030004000c.html
ハイチ大地震:発生直後、唯一放送したFM局
 ◇新聞停止、他局も協力
 1月12日に起きたハイチ大地震により、同国の新聞など主要メディアも大きな被害を受け、報道は困難を極めた。こうした中、地震発生直後から1週間、被災者の唯一の情報源になったのは、FMラジオ局「シグナルFM」1局だけだった。同局は他のラジオ局記者らの協力も得て、医療機関情報を流すなど、国民への情報伝達に奮闘した。【ポルトープランスで庭田学】

 首都ポルトープランスのペチョンビル地区にあるシグナルFMの社屋に、地震の被害はほとんどなく、自家発電機で電力を得られたことが幸いし、放送可能となった。

 「発生直後、政府や国連からの公式な情報はまったく得られなかった。多くの被災者がラジオ局にやってきて、情報を伝えてくれた。口コミが最大の情報源だった。大統領宮殿崩落の情報も口コミで知った」。シグナルFMのジュガ報道部長が振り返る。

 政府機能も崩壊し、公式情報へのアクセスは不可能な状態。2日間は政府とコンタクトさえとれなかった。シグナルFMが、プレバル大統領の無事を確認できたのは、地震から2日後。国連ハイチ安定化派遣団代表の死亡を確認したのは3日後だったという。

 他のラジオ局記者は、「記者にとって確かな情報が得られないというのは、とても苦しいことだった」と話す。

 被災者向けに放送する内容としてシグナルFMが当初最も重視したのが、どこの医療機関で治療が受けられるか、という情報。2番目が、がれきの下敷きになった生存者を協力して助け出すことを、国民に呼びかけることだった。震災から3週間たった今は、救援物資の配布情報などが被災者から求められているという。

 地震直後、他のラジオ局記者がシグナルFMに協力するという異例の光景もあった。シグナルFMの記者も多く被災し、人手が足りない中、ライバル局の記者の応援は大きな力になった。

 ジュガ部長は「地震でハイチ国民の中に眠っていた連帯と助け合いの気持ちがよみがえった。肌の色や貧富の格差を超え、がれきの中の人々を助け出した。他局の記者と我々の協力もそんな連帯の一つだ」と話した。

 一方、震災以来、ハイチで新聞は発行されていない。輪転機や印刷工場が被害を受けたためで、発行再開にこぎつけるには、まだ2〜3カ月かかるとみられている。

 首都中心部にある1898年創刊のハイチ最有力紙ヌベリストの社屋は一見、大きな損傷を免れているようだったが、輪転機が回らないため、発行不能に陥っている。

 社屋内は停電で暗く、無人。壁面の一部が落ちている玄関ロビーの床には、1月11日付の新聞が30部ほど置いてあった。地震前に発行された最後の新聞だ。同紙はインターネットのサイトで報道を続けている。

 もう一つの有力紙マタンの場合、首都中心部にある印刷工場が全壊。同紙のインターネットのホームページは、地震発生以降、更新されておらず、再開準備を進めているという。


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