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労働運動

880名無しさん:2015/02/08(日) 17:06:46
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20141109-00040587/
城繁幸さんの「伝統の終身雇用」話について
山本一郎 | 個人投資家
2014年11月9日 1時14分

山本一郎です。趣味は統計と調査です。

ところで、さっき仕事の合間にサイト見てたら城繁幸さんの文章が飛び込んできて興味深く読みました。

大筋のところでは賛同するもので、これはこれで面白い議論だと思うのですが、人口学とか雇用の歴史をある程度知っていると「それは誤解じゃないの」という部分もありますので、一応触れておきます。

× もともと日本は雇用の流動性の高い社会だった。

○ 「雇用」という形態が一般化するのは終戦後から。

もともと日本は雇用の流動性の高い社会だった。それは明治に制定された民法で「解雇は2週間前の通告だけでいつでも可能」となっていることからも明らかだし、戦争中は国家総動員法で労働者の勝手な転職を禁止しなければならなかったほどだ(従業員移動防止令等)。

出典:専業主婦も終身雇用も割と最近の流行りもの --- 城 繁幸
確かに明治時代に制定された民法で雇用についてが明記されたのは事実なんですが、そこでカバーされている雇用というのは当時は非常に特殊な形態でした。明治初期の2,500万人ぐらいの労働者のうち9割にあたる2,300万人ぐらいは小作農のような形態か、奉公人、丁稚のような下働きをする形であり、そこへ武家階級改め公務員という概念が出てきたり船問屋が船員寄合みたいなのを作って雇用するという形態が徐々に出てきたのが歴史的事実だと思います。

なので、明治の民法の記述をそのまま引いてきて「もともと日本の雇用は流動的だった」とはとても言えず、人宿の書き入れなど江戸時代からあった奉公人や職人の雇い入れの仕組みをベースに構築されたものであったと考えるべきなんじゃないかと感じます。

類書でいいますと職業安定行政史 : 江戸時代より現代まであたりをご一読いただくと、いわゆる日本の働き方と雇用の問題についての「伝統」とは何かが良く分かるのではないかと思います。この辺を読みますと、日本の伝統を守るか守らないかという議論よりは、封建時代の雇用のあり方が都市化が進み明治政府の考え方が浸透する中で変貌し続け、終戦後も一貫して雇用のあり方は日本人の中で論争が続いて行政学として消化されてきたのが良く分かります。

また、身分制をひきずりながらも雇用制度の改善を進めていた状況については、『わが国賃金構造の史的考察』(昭和同人会)に細かく記されています(といっても、私は要約された抄文しか読んでませんが…)。

したがって、日本における伝統的雇用が流動性の低いものかどうかというテーマ自体がナンセンスであることが良く分かると思います。


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