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労働運動

510とはずがたり:2009/08/16(日) 16:32:02
組合予算を切り詰める痛みの共有も必要でしょうね。。

’09衆院選しが:組織はどこへ/3 労組の団結、不況で揺らぐ /滋賀
 ◇「働く権利を」原点回帰へ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1240552224/3782

 湖東地域の運送会社で労働組合役員を35年間続ける50歳代の男性運転手は悔しがる。「最近は同僚に響かなくてね」。ショックだったのは07年7月の参院選。民主候補のリーフレットを会社に山ほど持ち帰り、事務所のカウンターに積み上げた。「みんなでさばいてくれ」。だが、山はほとんど減る気配がない。そのまま公示日を迎え、リーフレットはほこりをかぶっていた。

 民主党の大基盤、「連合」。滋賀県はその発祥の地である。

 大津市長選で県内の労働4団体が初めて共闘し、支援候補が当選したのが1972年。2年後の知事選では、旧八日市市長だった武村正義氏を推して当選させ、一大勢力となった。当時を知る連合幹部は「1人の候補のもとに思想を超えて一つになるなんて、全国的にも考えられない事態だった」と語る。

 15年後の89年、労働4団体が全国規模で統一され、「日本労働組合総連合会(連合)」が結成された。時代はバブル景気の絶頂期。製造業が盛んな県内では、当時の組合員は約7万6000人。毎年の春闘で1万円前後の賃上げを獲得し、運動は波に乗っていた。

 だが、91年にバブルが崩壊しリストラが始まると、失速する。04年までに派遣法の規制が緩和され、同じ工場に組合員と派遣労働者が混在するようになると、求心力はさらに弱まった。不況も追い打ちをかける。労使交渉で勝ち取れるものは減り、09年4月の県内組合員は約6万7000人に減った。

 通信会社の組合員(50)。今回の衆院選公示が迫る中、「あきらめ気分の中で選挙と言われても腰が重い」と打ち明ける。

 また、製造会社の研究員(32)は前回衆院選で支持者名簿に家族の名前を書いたが、今回は距離を置く。「現場は極限まで経費を切りつめているのに、組合予算は聖域のように守られる。そんな人たちが『ガンバロー』と呼びかけても……」


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