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労働運動

322とはずがたり:2009/01/06(火) 16:58:55
>>313-318

派遣村終了、交錯する期待と不安の声
2009.1.5 13:32
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090105/trd0901051334005-n1.htm

 日比谷公園(東京都千代田区)に開設された「年越し派遣村」が5日朝に「閉村」した。厚生労働省や都の支援策の一環で都内4カ所に用意された旧学校施設などへ移る元派遣社員らからは「光が見えてきた」「不安はある」など、今後の生活に不安と期待の声が漏れた。

 集まった人は国会周辺のデモ行進にも参加。生活保護の申請も随時していくという。

 厚労省近くの日比谷公園では、ボランティアらが朝からごみ回収などの後片づけを開始。園内に設営されたテントの解体も行い、撤去作業を行った。国会議員らが激励に駆けつける姿も見られた。

 最後に出された朝食は、おにぎりとけんちん汁。寒風が吹く中、元派遣社員らは湯気が立ち上る汁をすすっていた。いすゞ自動車藤沢工場(神奈川県藤沢市)で派遣として働いていた男性(47)は寮の退去日前日の今月4日に寮を出て、派遣村のテントで一夜を過ごしたという。

 「オーディオなど金に換わるものはすべて換えてきた。とにかく住む所を確保しないと」と男性。3つの大きなバッグを抱えながら、「移動する都内の施設では仕事の紹介もしてくれると聞いた。光が見えてきた。年齢面で不安はあるが、いい仕事に巡りあえば」と期待を示した。

 一方、使用期限が5日午前9時までとなっていた臨時宿泊先の厚労省講堂では、午前8時ごろからボランティアらが講堂内から布団など寝具を搬出した。

 閉村集会では、派遣ユニオンの関根秀一郎書記長が約340人を前に、「仕事を失い、住まいを奪われた人の受け皿となるような機関が必要。村は閉じるが、今後も支援は続けていく」と訴えると、会場から拍手がわき上がった。

 北海道出身で製造メーカーの元派遣社員の男性(43)は、「別の施設で暮らせるということで、とりあえずは安心した。でも期限が1週間なので、その後は分からない。仕事はきっちりと探したい」とうつむきながら話した。

 建築現場で日雇いとして働いていた男性(26)は、「まだ若いので、仕事は、探せば何とかなると思うが…。不安は残る」と表情を曇らせた。

 実行委によると、同公園がある千代田区に対し、派遣村にいた約230人が生活保護を事前申請。うち80人が同日に区役所に行き、手続きをするという。

 正午過ぎからは、実行委員会メンバーや一部の元派遣社員らが、日比谷公園から国会議事堂前までデモ行進。救済を訴えた。

“派遣村”から生活保護申請 正午過ぎ75人が千代田区役所に 
2009.1.5 14:01
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/090105/tky0901051405011-n1.htm

 東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」に寝泊まりしていた失業者ら約75人が5日昼、生活保護申請手続きのために次々と千代田区役所を訪れた。

 千代田区によると、派遣村から5日までにファクスで寄せられた生活保護申請は約230件。仕事始めの5日に申請者が殺到することを想定し、同日朝から区役所1階に特設窓口を設置、防災課と協力して非常食の提供や炊き出しをするなど対応に追われた。

 午後0時10分ごろ、派遣村から約75人が区役所に到着。昨年11月末まで建築関係の会社で派遣社員をしていた男性は「会社からいても仕事はないといわれ、寮を12月20日に出なければならなくなった。仕事に就けても、給料が出るまでに1カ月かかる。何とか助けてほしい」と訴えた。

 派遣で倉庫管理の仕事をしながらネットカフェに暮らしているという60歳の男性は「今は働いているが、年齢もあって長くは働けない。お金が底をついてしまった」と厳しい表情で話していた。

 千代田区は7日まで特設窓口で対応する予定。


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