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労働運動
1
:
とはずがたり
:2005/04/29(金) 21:14:23
連合…民主党系
http://www.jtuc-rengo.or.jp/new/
全労連…共産党系
http://www.zenroren.gr.jp/jp/
全労協…新社会党系
http://www.zenrokyo.org/
大原社会問題研究所
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/
戦後の労働組合の歴史
http://homepage3.nifty.com/54321/roudouundoushi.html
209
:
とはずがたり
:2008/06/27(金) 00:22:18
【結いの心】
つながり見失って 眠らぬ街<1>
2008年5月27日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008052702000216.html
午前2時。闇に包まれた愛知県豊田市。トヨタの寮に、バスが次々に着く。夜勤を終えた期間工たちが降り立ち、無言でコンビニ店や寮舎に散っていく。
九州出身の男性(24)は、期間工になった理由を「正社員だと、責任ものしかかってくるしね」。期間工として2度目の契約だが、この2年半は寮と工場の往復だけ。「街の印象なんて、あまりないなあ」。いずれは東京で歌手になるのが夢という。
トヨタ本社近くで70年、親子2代にわたり「トヨタ屋食堂」を営む林勇(74)は、店の前の通りが「トヨタ銀座」と呼ばれた昭和のころを思い起こす。
店の前は、歩いて帰る従業員で埋まった。「おふくろの味や」。地方出身の従業員が、何杯もお代わりした。「また来るでよ」と、あいさつし帰省していったものだ。
いまの街を「人口は増えたけど、街に人がおらんくなった」と寂しく見つめる。
日付が変わり、トヨタの工場が止まった深夜の街では、下請け工場の明かりがともり続ける。
日系ブラジル人のダ・シルバ(41)は6年間、町工場で働いた。重労働で社会保険もなく、派遣のままで時給も同じだった。日本人が現場にいない夜、母国の同僚がプレス機械に挟まれ、死亡した。
事故を機に昨夏、仲間と労組を立ち上げると、会社から「政治・思想活動は行いません」などと書かれた誓約書へのサインを迫られ、拒むと解雇された。「同じ人間なのに、ぼくたち外国人は使い捨てなのか」と問い掛ける。
ある派遣会社の社長(59)は「社会保険を負担すれば、下請け企業のもうけはゼロ。使う者のことを考える余裕なんてない」と打ち明けた。
トヨタを支える夜の町工場が、外国人労働者であふれるころ。両親が働きに出て不在になる家庭の子どもたちが、夜の公園で仲間同士、時間をつぶす。学校に行かず、昼夜、自宅にこもる子も少なくない。
そんな子どもたちのための日本語教室「トルシーダ」(ポルトガル語で「応援」の意)を市内で開く伊東浄(きよ)江(50)は「人がどんどん他人に無関心になっている」と嘆く。
電車でお年寄りや妊婦を立たせ、誰も席を譲らない。3年間暮らしたインドネシアの方が、むしろ「当たり前の優しさ」を人がもっていた。
この春、相談に来た日系ブラジル人少年が、地元中学に入学することができた。「15歳を過ぎている」。それだけの理由で拒否されたのを、市に頼み込み「特例」でやっと認めてもらった。
目を輝かせ、たどたどしい日本語で喜びを伝えた少年のひと言が心に残る。
「センセイ、1億回アリガトウ」
子どもたちを、1人でも多く支えたい、と伊東は思う。誰のためでもない。1人1人と絆(きずな)を結ぶ自分が「幸せ」を感じるために。
=文中敬称略
× ×
巨大企業が2年間で4兆円の営業利益を積み上げる一方で、下請け企業との絆、原点の志を忘れていく。そのおひざ元の街もまた、使い捨ての労働力とされた人たちが、地域とのつながりをなくし、希望を見失っている。「トヨタの足元」「カローラの魂」に続く「眠らぬ街」では、企業城下町に問われる「結いの心」を考える。
【豊田市】 1937年にトヨタが旧挙母(ころも)町に本社工場を建設。59年に「挙母市」から全国で初めて企業名を地名とする「豊田市」に。トヨタの主力7工場をはじめ、関連の約390工場が立地。家族を含め、住民の7割近くが自動車産業と関連を持つ。人口約42万人。外国人登録者が約1万6000人。
210
:
とはずがたり
:2008/06/27(金) 00:22:33
【結いの心】
これじゃ根づけない 眠らぬ街<2>
2008年5月28日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008052802000187.html
夜勤に出る前、彼(32)は寮の部屋で株のデイトレードをする。パソコンに向かい、画面上のわずかな値動きに目をこらす。
「期間工の給料だけじゃ、希望も何もない。株だけが、ここからはい上がれる道のような気がして」
関東の高校を出て、大学受験に失敗。不動産会社や居酒屋チェーン、日雇い派遣などの職を転々とした。初めてトヨタの期間工になったのは、25歳のころ。新聞の募集広告に「社員登用の道あり」と書いてあったのに心をひかれた。以来、4度目になる。
日雇い派遣の時は、ピンハネされ頭にきた。何重もの派遣構造になっていて、手渡される金額が発注元の支払額の半分以下だったこともあった。違法な建設現場への派遣もあった。それでも「次の仕事までのつなぎだ」と思って我慢した。
期間工の仕事は、まだましに思えた。時間が決まっていて、帰宅時間も見当がつく。だが、年齢が上がるとともに、焦りが芽生えてきた。
月収は30万円程度あるが、もう上がらない。正社員と同じ仕事でも、収入は半分だ。契約は6カ月ごとで、残り1カ月になると「延長の打診はないのか」といつもビクビクする。
30歳を過ぎたら、ほかには日雇い派遣ぐらいしか仕事はない。結婚したい相手がいたが、いつ無職になるか分からない身では、踏み切れなかった。
昨秋、正社員への登用試験を受けた。「年齢が高いから、厳しいだろう」とは予想していた。不合格の通知に「やっぱりか」と力なくうなだれた。
株を始めたのは、そのころだ。まだ、もうけは出ていない。
高校時代、放送部のコンクールで全国大会に出場し、広告代理店で映像にかかわる華やかな将来を夢見た。最近、若者の貧困問題のニュースを見て、思う。
「自分は、ネットカフェ難民と大して変わらない。寝る場所が寮になっただけじゃないか」
必要がなくなれば「再契約なし」という形で切り捨てられる。「将来が見えないから、地域に根付きたくても、根付けない。フワフワしている」。住民票は実家に残したままだ。
「結婚もできず、家も買えず、子どももつくれない。いつかこんな社会は、終わりが来るんじゃないか」
株の値動きに一喜一憂しながら、ふと、彼はやり場のない憤りを覚える。
【期間従業員(期間工)】 期限付きで雇用する契約社員。トヨタの場合、愛知県内12工場で現場従業員の3割にあたる約9000人に上る。6カ月以上働くと正社員登用試験が受けられる。昨年度は1250人が正社員になったが、本年度は900人に減らす。景気の「調整弁」に使われるとの批判もある。
211
:
とはずがたり
:2008/06/27(金) 00:22:54
【結いの心】
「母さんを頼んだぞ」 眠らぬ街<3>
2008年5月29日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008052902013437.html
肺がんで昨年他界した父は、彼(32)と兄(45)に言い残した。
「母さんと姉さんを頼んだぞ」
70代で年金生活の母と、進行性の病で体が不自由な姉。だが、有効求人倍率が低い北海道では、2人を養うだけの稼ぎ口が見つからない。母と姉を残し、故郷を出るしかなかった。
兄は長野県へ。彼は愛知県豊田市にあるトヨタ系の自動車部品会社へ。どちらも派遣社員として働く。家族はバラバラになった。
「本当は地元で就職して、面倒を見たい。でも、北海道じゃ仕事がないんだ」
高卒後、地元で自動車整備会社や水商売、建設現場の仕事など職を転々とした。どの仕事も時給が1000円に届かない。「これじゃ、アルバイトと変わらない」。今年2月、求人誌でトヨタ関連の仕事の好条件に目を奪われた。
「北海道とは格段に違う」
愛知県内の派遣会社に電話すると、すぐに自動車部品会社を紹介された。時給は1250円。寮に入り、月20万円の手取りのうち、10万円を母と姉に仕送りしている。
同じ寮には北海道や東北、沖縄出身の派遣社員が多い。同じ道産子なまりを聞くと、話に花が咲く。
「内地にしか、なまら(とても)仕事がねえもんな」「したって(けれど)いつクビにされるか分からん調整弁だ」「体を悪くして辞めてくのも多いぞ」
そんな話をするうち、派遣生活を続けるのか、故郷に帰るべきなのか迷う。
派遣社員の労働相談を受ける管理職ユニオン・東海の平良博幸書記長(48)は、故郷を離れて不安定な暮らしをする彼らを「派遣難民」と呼ぶ。最近は子連れで派遣会社の寮を転々とする夫婦も多く、保育園になじめず両親が帰るまで寮に独り、暗いうつろな表情で待つ幼児も見た。
「居場所がころころ変われば、人間関係が寸断され、情緒も不安定になる」
地域間格差と非正規雇用の拡大で「日本がゆがんでいくようで怖い」という。
派遣で働く北海道出身の彼には、おぼろげな夢がある。会社員を定年退職後の父が母と営んでいた小さなラーメン店を再開することだ。
「いつかまた、母さんたちと北海道で暮らしたいんだ」
衰退した古里に自分なりの“錦”を飾る−。その日が必ず来ると信じて。
212
:
とはずがたり
:2008/06/27(金) 00:23:22
これはやるせないな。。
【結いの心】
優しい日本人 どこへ 眠らぬ街<4>
2008年5月30日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008053002013671.html
祖母が聞かせてくれた「優しい日本人」は、どこへ行ってしまったのか−。夫をトヨタ系下請けの工場で亡くした日系ブラジル人3世のケリー・タムラ(31)は、事故の責任を認めない会社の姿勢に、悲しくつらい日々を送っている。
一昨年2月、まだ暗い午前5時。昼夜稼働する工場で、夫の派遣社員アレイショ・マキヤマ=当時(40)=は亡くなった。故障を直している最中、突然動きだした機械に上半身を挟まれたのだ。3人の子を抱え、ケリーは途方に暮れた。
その夜、現場は外国人だけだった。リーダー役に指名されたアレイショにノルマの重責がのしかかった。
「教育指導を無視して上半身を入れたと推認され、自己責任の原則が妥当する」
安全管理に問題があったというケリーの訴えに、会社側の答弁書は素っ気なかった。彼女を支援する全日本金属情報機器労働組合の大平敞也(しょうや)(63)は「機械のマニュアルも作業要領書も、日本語でしか書いてなかった」と憤る。
アレイショの残業は月に約100時間。健康保険に入れてもらえないのに、頼み込まれ、熱を押して土日出勤したことも。「『僕がやらないと仕事が回らないんだ』って頑張っていたのに」とケリーは涙する。
身を粉にして働き続けた揚げ句、ひと言の慰労もない。人間扱いされないことが、悲しく、つらい。
彼女が幼いころ、三重県からブラジルに渡った祖母に聞いた話がある。
戦時中、祖母は食料不足に苦しむ祖国の妹に、ブラジルから砂糖5キロを送った。妹からは後日、「砂糖をコップに1杯ずつ、近所の家に配った」と知らせが届いた。日本に来る前、そんな「助け合いの国」に夢を膨らませた。
“祖国”で味わう現実は、安く使い捨てにされるだけの日系人の立場。ただ彼女は、日本人の別の一面も知っている。
自閉症の次男(4つ)が通う施設の先生は、大切な用事がある時、開園前でも特別に次男を預かってくれた。施設の母親仲間にも「困ったことは、何でも言ってね」と声を掛け合う温かな支え合いがある。
「悩みがある者同士だから、私の感じる差別も分かってくれるのかもしれない」
同じ日本人が見せる2つの顔の、どちらが本当なのか。「助け合いの国」こそ本当の“祖国”…。やっぱり、そう信じていたい。
=文中敬称略
213
:
とはずがたり
:2008/06/27(金) 00:23:35
【結いの心】
信じ合えず、悲しいネ 眠らぬ街<5>
2008年5月31日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200805/CK2008053102014012.html
「シカタガナイ」
トヨタ系の自動車部品工場の技能実習生だったベトナム人女性(28)は、会社が「パスポートを預かる」と言ったとき、そう思った。
「大切な物だから、なくさないように」。そんな会社側の説明の裏に「逃げないように」という本音があるのは分かったが、素直に従った。
でも、1年前のあの時は事情が違った。
愛知県三河地方の下請け23社でつくる外国人実習生受け入れ機関「豊田技術交流事業協同組合」が、最低賃金以下で実習生らを働かせたとして、実習生受け入れの停止処分を受けた。
彼女らが異変に気付いたのは処分の後だった。例年は豊田市役所で行う滞在延長手続きが、名古屋入国管理局に変わった。1年延長のはずが4カ月。漢字が読めず、意味が分からなかったがパスポートに「出国準備期間」という赤い判を押された。
何かがおかしい。実習生仲間6人で会社の事務所に押しかけ、談判した。
「この赤い判の意味を説明して。そうしないと働かない」。押し問答の末、上司が渋々、説明した。「働いてはいけないビザ…」。それでも会社は、厳しい納品期限を守るため、彼女らを働かせようとしていた。背筋が寒くなった。
彼女は出国時、ベトナムの送り出し機関に保証金として、銀行で借りた4300ドル(約45万円)と実家の土地使用権を渡してきた。当時の年収の4倍もの大金。違法な労働で強制送還になれば、保証金は戻らない。
「私たち、働きません」
パスポートを取り戻し、他の会社の実習生たちと連絡を取って、寮にこもった。食費を切り詰め、わずかなお金で不安な日々を過ごした。
窮状を知った愛知県労働組合総連合の榑松(くれまつ)佐一(52)らが、付近の農家の支援で米を差し入れた。感謝の涙を流す彼女たちを見て「こんなに喜ばれるなんて」と榑松は驚いた。異国の地で、それほど心細い思いをしていた。
1カ月後、榑松らの奔走で、別の受け入れ機関に移籍して働けるようになったとき、実習生たちは抱き合って喜んだ。
彼女は今月、3年の実習期間を終えて帰国した。
大切な給料で唯一買ったのはビデオカメラ。そこには、同僚の日系ブラジル人や実習生仲間の笑顔があふれる。だが、日本人の映像は、ほとんどない。
「会社の人たちと信じ合えなかったから。友達もできなかった。悲しいネ」
桜や紅葉、雪景色…。ビデオには、美しい日本の風景だけが収められている。
=文中敬称略
【外国人研修・技能実習制度】 海外の労働者に技能や知識を習得させる制度。1年間の研修と、その後2年間の技能実習に分かれる。政府は外国人の単純労働を認めないが、実態が「低賃金の労働力」化しているとの批判も。法務省は昨年末、研修・実習生のパスポートの取り上げを不正行為として厳罰化する指針改正をした。
214
:
とはずがたり
:2008/06/27(金) 00:24:13
>>209-214
【結いの心】
この恩は永遠に 眠らぬ街<6>
2008年6月1日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/list/200806/CK2008060102014255.html
日系ブラジル人3世のケンジ(21)には、宝物がある。
紺色のズックかばん。愛知県豊田市にある日本語教室「トルシーダ」で教えている高山(こうやま)静美(49)が8年前、贈ってくれた。
トヨタ系の自動車部品会社で働く父親に呼び寄せられて来日。高山らに数カ月、日本語を学んだ後、地元中学に入った。入学前、学校指定のかばんを買いに行き、2万円近い値札に目を丸くしていたら、高山らが「プレゼントしてあげる」と買ってくれた。
中学校に入ると、入学前に膨らませていた期待が、すぐにしぼんでいった。教師の言葉が分からず、授業についていけない。日本語を学ぶ国際教室は、座って書き取りをするばかり。3カ月で不登校になった。
「自分は、どうなるんだろう」。将来への不安におびえながら毎日、団地の一室で過ごした。かばんを目にするたび、申し訳ない気持ちが込み上げる。
救ってくれたのは、事情を知って訪ねてきた高山だった。
「ずっとこのままで、どうするの? 勉強しましょうよ」
それから1年間、日本語を学び直し、自信がついた。「言葉が分かったら、勉強も面白くなった」。中学校に戻ってテストを受け、同級生の1カ月遅れで卒業資格を得た。
だが、社会に出て待っていたのは、派遣社員にしかなれない日系ブラジル人の現実。重労働で休みがなく、給料も上がらない。トヨタ系の下請けで、転職を繰り返した。
派遣生活を抜け出せたのは、身に着けた日本語のおかげだった。4社目の大手下請け企業が今年2月、彼の日本語能力を認め、社員に引き上げたのだ。
給料は3割近く上がり、ボーナスも有給休暇もある。社会保険にも入れた。「正社員になれたんだよ」。トルシーダの恩師たちに報告する電話の声がはずんだ。
卒業して6年たつが「あのかばんだけは手放せない」と言う。
「お守りみたいな感じかな。中に気持ちがいっぱい詰まってるから」
トヨタを支える下請け企業に、欠かせなくなった外国人労働者たち。「トルシーダの先生たちみたいな人が、日本にとって大事だと思う」。ボランティアで講師を買って出るケンジは言う。
「トルシーダにお礼をしなきゃいけない。永遠にね」
=文中敬称略
× ×
取材班・秦融、寺本政司、酒井和人、島崎諭生 写真・長塚律、畦地巧輝、隈崎稔樹
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