[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
労働運動
1991
:
とはずがたり
:2019/08/20(火) 10:36:05
外国人の人権なおざり 不法滞在、収容長期化
毎日新聞2019年7月11日 東京朝刊
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190711/ddm/041/010/084000c
21日投開票の参院選で、不法滞在の外国人の処遇について議論を求める声が上がっている。出入国在留管理庁への収容期間が長期化する傾向が強まっているからだ。さまざまな事情で帰国が難しい外国人も少なくないが、参政権がない外国人の人権問題は、選挙戦であまり語られない。今年4月には外国人受け入れ拡大を定めた改正入管法が施行され、支援者らは「新しい制度を考え、外国人も暮らしやすい社会を」と訴える。
「どうして出してやらないのか。真面目に働いていたのにあんまりだ」。千葉県木更津市の建材会社の元社長、宍倉七郎さん(73)は憤った。かつて雇っていたイラン人、ラフマニ・モハメド・アリさん(49)が東日本入国管理センター(茨城県牛久市)に収容され、間もなく2年。毎月面会に通うが、「だんだん元気がなくなってきた」と心配する。
ラフマニさんはイラン革命(1979年)後にイスラム化が進み戒律が厳しくなった母国になじめず、何度も警察に拘束された。命の危険を感じ、90年に21歳でビザが不要だった日本に逃亡。偶然出会った在日イラン人のつてで、宍倉さんの会社にたどり着いた。
「身寄りがないと聞き、かわいそうに思った」。宍倉さんは寮の一室をあてがい、トラック運転手として採用した。当時はバブル期。多くの建築現場で外国人が人手不足を補っていた。公的機関から在留資格を細かく確認することは求められず、「不法就労かどうか気にもしなかった」という。
ラフマニさんは宍倉さんを「おやじ」と慕い、懸命に働いた。母国の両親は来日して間もなく病死。兄姉の行方も分からなくなった。「日本で生きていくしかない」。そう考えるようになっていた。
2010年、運転中に検問で摘発され、入管に収容された。入管での収容は原則、不法滞在者が帰国するまで続くが、人道的配慮から収容を一時停止し、身柄の拘束を解く「仮放免」の制度がある。ラフマニさんも1年余りで仮放免になった。就労が禁止されるため、宍倉さんは引き続き寮に住まわせ、生活の面倒を見た。だが、入管は2年前、ラフマニさんを再収容した。理由は明かされなかった。
今年6月、面会室で取材に応じたラフマニさんは「帰る場所はおやじのところだけ。ほかにどこに行けばいいのか」と涙をこぼした。
法務省の統計では、13年時点の収容者は914人、6カ月以上の「長期収容者」は263人(29%)だった。一方、18年末時点は1246人中681人(55%)に増加している。
移民社会に詳しいフリーライターの望月優大(ひろき)さん(33)は「入管には大きな権限があり、第三者が監視する仕組みもほとんどない。外国人の人権問題は争点になりにくく、日本の有権者がどう向き合うかが問われている」と指摘する。【金子淳】
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板