[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
労働運動
1549
:
とはずがたり
:2017/10/05(木) 08:09:10
>>1548
一方、電機連合福岡地方協議会の担当者は「立憲民主党の候補のために動くことは、心情的に難しい」と打ち明けた。
左右両派の温度差が広がる中、連合という組織そのものに懐疑的な声も上がる。ある民間労組関係者はこう語った。
「労働政策や社会保障分野では官公労とも共闘できる。しかし、彼らは安保や憲法などで非現実的な主張を繰り返す。そこは一本化できない。今回の選挙をきっかけに、割れた方がすっきりするよ」
◇
労働組合 分裂と再編の歴史
戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が民主化政策として、労働組合の結成を促進した。労働運動が活発となり、共産党系の全日本産業別労働組合会議などが力を持った。GHQはその後、日本の共産主義化を懸念する。昭和22年2月の「2・1ゼネスト」計画では、中止を命じた。
25年7月、非共産党の「日本労働組合総評議会(総評)」が誕生。だが、総評は朝鮮戦争以後、反米容共路線に転じた。
これに反発する動きが、39年11月の「全日本労働総同盟(同盟)」結成につながる。
総評は社会党を支持し、同盟は社会党右派が離党してできた民社党(35年1月結党)を支持した。
50年代以降、総評と同盟の統合の動きが始まった。62年11月、総評内の民間労組と、同盟などが全日本民間労働組合連合会(民間連合)を結成。平成元年11月に官民が合流した日本労働組合総連合会(連合)が生まれた。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板