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労働運動

141とはずがたり:2007/07/01(日) 17:45:58
酷いなぁ。。

壊れる30代 底なし残業の果て
働きすぎの現場から
月200時間…寝たきり

 「ほら、息して、息」
 横たわる松元洋人さん(32)に、母紀子さん(57)がほおずりするように顔を寄せた。強くやさしく、肩をたたく。洋人さんの体が、こわばりがとけるように、震えた。
 鹿児島県鹿屋市。04年11月10日午前4時過ぎ、洋人さんのうめき声に紀子さんが気づいた。就寝中に心臓に異変が起き、病院に運ばれた時は心肺停止状態だった。命はとりとめたが意識は戻らず、寝たきりに。
 03年9月、29歳でレストランチェーンの支配人になり、すしや和食を出す店を切り盛りしていた。別の飲食店を経て、01年にパートで入社し、半年足らずで正社員になった。
 午前9時ごろ出勤し、食材の搬入。午後10時の閉店後も売り上げを電話で上司に報告。午前1時を過ぎる帰宅もざらだった。倒れるまで半年間、時間外労働は月平均200時間を超えた。
 6人いた社員が転勤などで3人となり、売り上げを打つパソコンが扱えたのは洋人さんだけだったという。パートらは約30人。入れ替わりの激しいパートの面接や、シフト表つくりもこなした。
 「お前は休むな」。上司にそう言われたと、前にいた店の同僚(57)にこぼしていた。同僚も、日々の目標に届かなくて上司に「店閉めろ」と怒鳴られたことがあり、胃薬が手放せなかった。
 「こんな働き方おかしい」と言う紀子さんに、「自分だけ逃げられない」と、仕事を続けた。
 「泣きながら仕事する松元さんを見た」。30代の元パートの女性は害う。別のパートは午後11時過ぎに店に給料明細を取りに来て、洋人さんに会った。片道約1時間半かけて会議に出ていたのに戻ってきていた。「ほかに人がいないから」と笑った。
 倒れたのは、それから5時間ほどあとだ。同じ日付で振り込まれた給料は18万7057円。通帳に、毎月17万〜20万円の数字が並んでいた。
 横浜市で生まれ育った。土地家産調査士の父美幸さん(63)の故郷・鹿児島を気に入って、就職先に選んだ。両親が鹿屋に120坪の土地を買って家を建て、越してきたのは倒れる約1年前。ゆくゆくは孫らと暮らせれはという夢があった。
 夢は壊れた。
 両親は仕事をやめ、24時間、たんを吸引し、呼吸を見守る。
 労災は認められた。両親は今、会社に対し、未払い残業代などを求めて訴訟を起こしている。「一人でも過労で倒れる人が減ってくれたら」という思いからだ。
 第1回弁論は19日。美幸さんは意見陳述の下書きにこうしたためた。
 「先の明かりが見えない、暗い、長いトンネルの中にいます。一生懸命出口を探しています」
 会社側は「ちゃんとパート等を補充していた。対応はできたはずだと考えており、判断は裁判所に任せたい」としている。
07年6月18日・朝日新聞朝刊

ファミレス店長過労で寝たきりに…両親らが会社に賠償請求
http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/046/046_070405.htm

 ファミリーレストラン支店長が違法な長時間勤務による過労で倒れ、意識不明の寝たきり状態になったとして、両親らが4日、店を経営する康正産業(鹿児島市与次郎1、肥田木康正社長)を相手取り、約3億5800万円の損害賠償を求める訴訟を鹿児島地裁に起こした。訴えたのは「ふぁみり庵まどか亭札元店」で働いていた松元洋人さん(32)(鹿屋市王子町)と両親。

 訴状によると、松元さんは2003年9月から勤務。最大時で午前8時から翌未明まで、接客、調理、仕入れ、売り上げ計算などで多忙を極め、休日はほとんどなかった。04年11月10日未明に帰宅後、心臓発作を起こし、低酸素脳症で意識不明となった。

 鹿屋労働基準監督署は、発症前の半年間の時間外労働時間が1月平均202時間に達していたとし、06年1月に労災認定、休業補償などの支給を決定した。このため原告側は、会社が労働者の健康への配慮義務に違反したと主張している。

 同社は「200時間を超えるような残業は指示していないし、本人にも何度か『体のことを考えてちゃんと休みなさい』と言ったが、自主的に仕事をしていた」としている。同社は鹿児島、熊本、宮崎県などに「ふぁみり庵はいから亭」など50店舗以上の飲食チェーンを展開している。


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