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労働運動

1294チバQ:2016/11/15(火) 22:53:10
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201611/CK2016110202000111.html
<過労社会 電通ショック> (4)「人間は機械じゃない」

2016年11月2日 朝刊


記者会見で頭を下げる電通の中本祥一副社長(中)ら=9月23日、東京都中央区で
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 電通のゆがみを象徴するかのような不祥事だった。
 中本祥一副社長は九月二十三日、東京都内で会見し、インターネットの企業広告を契約通り掲載していなかったとして謝罪した。同席した電通幹部は「恒常的に人手が不足していた」と社内体制の不備を認めた。
 過労自殺した高橋まつりさん=当時(24)=が働いていたのが、ネット広告を扱う部署だった。広告データを集計・分析し、リポートを作成する。その作業を一週間単位で繰り返す。本採用後の昨年十月以降、部署の人数は十四人から六人に減り、担当企業は増えた。
 業界関係者によると、ネット広告はこの十年間で急増。ただし、手間がかかるのに単価は安い。業務が増えても、もうけの少ないネット広告の部署は、どの広告会社も人手不足だという。中堅広告会社で働いていた三枝和仁(さえぐさかずひと)さん(68)は「残業削減を働き掛けても、業務量を減らさないとサービス残業を増やすだけだ」と指摘する。
 これは広告業界に限った問題ではない。十月七日に国が公表した初の過労死白書。正社員への調査で残業が必要となる理由は「人員不足」が最多だった。
 西日本高速道路(本社・大阪市)の河本直之さん=当時(34)、仮名=は昨年二月、過労の末に自ら命を絶った。当時、病院に駆けつけた母親によると、直属の上司は「明らかに人手不足でした」と土下座してわびた。
 河本さんは亡くなる四カ月前、神戸市の道路管理事務所に赴任し、道路保全業務の発注や工程管理を担当していた。赴任直後から残業続きで、職場の歓迎会すら主役の河本さんは参加していない。遺族側の集計で残業時間は最長月百七十八時間。午前七時すぎに出社し、夜間工事の巡回で翌朝の午前六時半ごろまで、ほぼ丸一日職場にいた勤務記録もあった。河本さんは昨年十一月に労災認定された。
 西日本高速は二〇〇五年の民営化後の十年で、社員数は微減ながら一人当たりの事業量は二・四倍に膨らんだ。
 母親が問題視するのは、西日本高速が一三年に各支社に通知した「生産性の向上にむけて」と題する文書。「増大する業務を限られた経営資源で遂行するためには一層の生産性向上が不可欠」とある。
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 西日本高速は「亡くなったことは重く受け止めているが、業務量は特段過大なものではなかった」と説明。河本さんが亡くなった三カ月後、国土交通省に提出した資料でさらなる効率化をうたう。母親は「人手不足を効率化や生産性向上で補おうとすれば、労働密度が高まる。人間、機械じゃないから頑張れば疲れますって」と憤る。
 河本さんがインフラの技術者を志したのは中学二年の時だった。兵庫県内に住んでいて阪神大震災が発生。ライフライン復旧の対応で、神戸市水道局の職員が過労自殺した報道を見て、こう言ったという。「過労死したんは現場で働く技術者が足らんからや。俺、それやる。やりたいねん」。その姿が母親の脳裏に焼きついている。


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