したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

労働運動

1127名無しさん:2016/04/17(日) 09:32:57
非常に残念。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041500875&g=pol
山岸章氏死去=非自民政権樹立に尽力-初代連合会長、86歳

 初代連合会長で「非自民連立政権」の樹立に尽力した山岸章(やまぎし・あきら)氏が、老衰のため10日死去した。86歳だった。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会を後日開く。

 大阪市出身。金沢逓信講習所卒業後、郵便局に勤務。旧全電通(現NTT労組)委員長、情報労連委員長を歴任した。
 労組の発言力を強化するため、旧社会党系の総評、旧民社党系の同盟など労働4団体の統一に尽力。1989年11月に労働者800万人(当時)が加入する連合を発足させ、初代会長を5年間務めた。
 連合会長時代は悲願だった非自民連立政権の樹立に奔走。自民党に属していた小沢一郎、羽田孜の両氏らが93年6月に宮沢内閣不信任決議案に賛成し離党すると、山岸氏は社会党と小沢氏らをつなぐ仲介役となり、共産党を除く非自民勢力が結集した細川護煕政権が同年8月に誕生した。 
 山岸氏は社会、民社両党にとどまらず、細川氏や小沢氏と太いパイプを持ち、「政界仕掛け人」の異名を取ったが、小沢氏の政治手法、政策をめぐる対立の激化で、細川政権は8カ月余りの短命に終わった。後を継いだ羽田政権もわずか2カ月で倒れ、社会党が自民党などと手を組んで、村山富市政権が発足。山岸氏が目指した非自民連立政権に終止符が打たれた。
 ただ、その後、山岸氏の志を引き継ぐ形で、連合を支持母体とする政治勢力として、民主党が誕生、鳩山由紀夫政権が2009年に政権交代を再び果たした。
 00年に勲一等瑞宝章を受章。(2016/04/15-20:24)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041500995&g=pol
山岸氏「創成期をけん引」=神津連合会長

 連合の神津里季生会長は15日、初代連合会長の山岸章氏が10日に死去したことを受け、談話を発表した。その中で「創成期の連合運動を5年にわたりけん引し、労働団体間の相互信頼を醸成された功績は極めて大きかった」と指摘。「政権交代可能な政治改革の実現で手腕を遺憾なく発揮した」と振り返った。(2016/04/15-20:39)

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041501006&g=pol
「非自民、仲介に奔走」=政界から山岸氏悼む声

 連合の初代会長を務め、1993年の非自民細川連立政権樹立に尽力するなど政治との関わりが強かった山岸章氏の死去を受け、同氏ゆかりの政界関係者から15日、生前の業績をしのんで「日本の政治の方向性に多大な影響を与えた」(民進党の岡田克也代表)などと悼む声が相次いだ。

 山岸氏は89年の連合結成に合わせて会長に就任。「政権交代可能な政治制度」を掲げ、「非自民・非共産」の8党・会派による細川政権誕生に向け水面下で動いた。
 当時、新生党代表幹事として山岸氏と連携した生活の党の小沢一郎代表は「山岸氏のリーダーシップがあったからこそ、歴史的な政権交代が実現した」とのコメントを発表。「今日の政治情勢を鑑みたとき、今、山岸氏ありせばという感を深くする」と、大胆な進展がみられない野党共闘に歯がゆい思いをにじませた。
 社民連代表で科学技術庁長官として入閣した江田五月元参院議長も取材に「政界の実力者だった小沢氏と地下水脈で通じ、8党・会派を結び付けた」と振り返った。(2016/04/15-22:42)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板