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労働運動
1036
:
とはずがたり
:2015/12/24(木) 20:32:18
ダンの貯金、クレジットカードでの借金、学生ローンを流用しながら、同社は急成長を続け、自社技術を開発し、自前のカード処理システムを持つまでになりました。2008年に大学を卒業すると、ダンはいくつかのビジネス賞を授賞、オバマ大統領とも面会を果たします。ところが、そこに大不況が襲いかかります。グラビティ社も大打撃を受けました。同社の収益は20%ダウン。関係各社や顧客たちはつぎつぎと倒産していきました。プライス氏は恐怖に震えました。「僕らはほとんどすべてを失ったんだ」 その後、社員の賃金を低く抑えながら、同氏はスタートアップ企業でよく耳にする弁明を続けていました。企業は君たちに刺激的な働き場所を提供する。ここで多くを学べば、将来きっと大金を稼げるようになる。それはこの会社でかもしれなし、別の場所でかもしれない...。しかし、ジェイソン・ヘイリー氏との一件の後、プライス氏は新しい道を歩むことに決めたのです。
賃上げのあと、生産性が30〜40%伸び、利益も伸びた
プライス氏が2012年に実施した20%の賃上げは、当初は1回限りのはずでした。しかし、不思議なことが起こりました。利益が前年と同じだけ伸びていたのです。生産性が30〜40%も上昇したことが要因です。同氏は偶然の結果に過ぎないと考えましたが、翌年も20%の賃上げを行いました。また利益が同じだけ伸びていました。2014年、彼はとまどいながらも同じことを行いましたが、やっぱり利益も、新規雇用をしたせいで前年ほどではないにせよ、しっかりと伸びていました。
「しかし、僕はまだ気分がすぐれず、それがなぜだがわからなかった」と彼。3月、プライス氏は別の企業で働く、年収が5万ドルに満たない親友と散歩をしていました。彼女は頭がよく、有能で、週に50〜60時間は働いていました。にもかかわらず、アパート代が月200ドルも値上げしたことに加え、学生ローンの返済もあって、基本的な生活費の支払いさえも心配しなければならない状況に置かれていました。「無性に腹がたってきたんだ」とプライス氏。「僕はこの会社で年間100万ドルもらってるけど、僕と同じくらい価値をもつ、同じ釜の飯を食ってる同僚たちが彼女と同じ状況に置かれていることに気づいたんだ」
数字に強いプライス氏は統計データも知り尽くしていました。2000年以降、米国の生産力は22%伸びていましたが、物価上昇率を差し引くと、賃金の中央値は1.8%しか上昇していません。実際、賃金は不況のときから3%下落しています。生産力の増分は、平均で労働者の300倍も年収があるCEOたちのところへ回っていたのです。ちなみに、経済政策研究所によると、1990年の賃金格差は71.2倍程度でした(プライス氏の110万ドルの年俸は、グラビティ社の平均年俸4万8千ドルのおよそ23倍に当たる)。これを受け、シアトルを含むいくつかの都市において、最低賃金を時給15ドルにするなどの対策が検討されはじめています。
「彼女が200ドルの家賃アップで困らないためにどうなればいいんだろうって考えはじめたんだ」とプライス氏。同氏はプリンストン大学の行動経済学者ダニエル・カーネマンが2010年に行った研究を思い出しました。年収が7万5千ドルを超えると、日常生活における幸福度が変わらなくなるというものです。逆に、年収が7万5千ドルを下回る人びとは、収入が下がるほど不幸を感じていました。当時、グラビティ社の新人の給与は年間3万5千ドルでした。
グラビティ社の経営はうまくいっていました。2014年の収益は150万ドルに達し、年に15%伸びていました。年間で扱う顧客取引は70億ドルです。利益は220万ドル、売上純利益率は1.46%で、業界平均を少し下回っています。同社の利益の40%は、配当金としてダンとルーカスのものとなります(ダンはそのお金を同社の非常用預金口座に入れている)。残りのお金は事業に回されます。「僕たちは素晴らしい企業文化を持っていて、何百人もが求人に応募してくれている。だから、長いあいだ賃金を低く抑えることができていたんだ」と彼。
プライス氏は、社員たちがお金の問題を抱えていると、グラビティ社の成功の源泉である、一流のサービスを提供できなくなるのではと心配しました。また、彼は低い初任給は単純に間違っていると信じていました。それは自身の価値観に反しており、父親の教えにも反していました。「僕はとにかく初任給を7万ドルにしようと決めたんだ」と彼。「自分の給与がなくなっても、一日に20時間働くはめになっても構わない。ただやるだけだ」
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