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Tohazugatali Tourist Bureau

475チバQ:2009/12/31(木) 15:52:57
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000000912280004
年内で営業終了/さよなら仙台ホテル(上)
2009年12月28日


老朽化した現在の仙台ホテル。看板には「最後のおもてなし」の文字が=仙台市青葉区中央1丁目




 創業嘉永3年(1850年)、159年の歴史を持つ仙台ホテルが、年内で営業を終える。かつて仙台を代表するホテルとして内外の賓客が利用し、結婚披露宴の会場としても人気を博したが、最近は建物の老朽化とともに利用が減っていた。名残を惜しむ声につつまれながら、「名門」は去る。(橋本佳奈)


 JR仙台駅前に建つ現在のホテルは築45年。その当初から働いてきたのが鈴木尚太郎総支配人(67)だ。大学時代、仙台ホテルでアルバイトをしていたら、「働いてみないか」と誘われ、「おもしろそう」と卒業後すぐに入社した。来客がにこにこしているのを見たかったという。


 ベルボーイ、調理係、宴会の給仕係……。「ほとんどの仕事は経験した」と鈴木さん。宴会場では装飾から食事まで「すべて華やかで、最初の頃はぼうぜんとした」のを思い出す。著名人も多く接客した。プロレスラーの故ジャイアント馬場さんは、レストランで400グラムのステーキを軽く平らげた。米国の歌手、故レイ・チャールズさんは、ルームサービスで部屋に食事を届けたとき、とても親切に応対してくれた。


 ある夏、海外の大使館職員がコート姿でバーに入ってきて「ホットビール」。そんな飲み物の存在を知らずにあたふたし、冷房の効きすぎにも反省した。利用者一人ひとりに気を配り、何を求めているかを感じ取る。鈴木さんは、そんな接客術を「ほとんど恥ずかしい体験から学びましたね」という。


 会社員人生のすべてを注いだホテルがなくなる。鈴木さんはただ一言、「そりゃ寂しいですよ」としか気持ちを言葉にしない。


 小笠原暢宏・宴会サービス支配人(50)は、長年にわたって結婚式や披露宴のプランづくりと当日の進行管理を手がけてきた。昭和の時代、仙台ホテルで本格フレンチの出る結婚式や披露宴を挙げることは、地元のステータスだった。最も大きな宴会場「青葉の間」では、200〜300人を招くのがざらだった。


 ある医師の新郎、看護師の新婦の結婚を計画したときのこと。新郎の両親が「当家が呼んだ人には、高価な引き出物を出します」。だが、宴会後に持ち帰る手提げ袋の大きさに違いが出てしまってはまずい。何とか苦心して見た目をそろえた。


 大安吉日には1日に何組も宴会がある。披露宴はどうしても予定より長くなりがちだが、キャンドルサービスなど思い出に残りやすい部分は、「後ろがつかえていても、構わずにしっかり時間を割きました」という。


 これまでに送り出した新郎新婦は数え切れない。中には今でも年賀状などのやりとりが続く相手もいる。小笠原さんは「岩手の高校を出て、すぐに仙台ホテルに入ったときの立派なたたずまいが忘れられない。仙台ホテルが今年で終わるなんて、まだ実感がわきません」。


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