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Tohazugatali Tourist Bureau

1とはずがたり:2005/04/29(金) 21:06:28
観光・旅行・リゾート・レジャー・ホテル業界等

温泉スレはこちらhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1075222919/l10

3214とはずがたり:2015/03/14(土) 07:39:04
兵庫発祥の会社か〜♪

>なぜここまでブームが下火になったかというと、メディアがスキー場を取り上げる機会が90年代後半をさかいに極端に減ったことも関係している。人気絶頂だった94年ごろは、ドラマのロケにスキー場が使われたり、ワールドカップのテレビ中継もあった。スキー場にとって不運だったのは、これまで自発的なマーケティング(広告・宣伝)で来場者を集めたわけではなかったこと。メディアの露出が減るなかで、なんの対抗策も取れずにいた。

>「マーケティングの他にもう一つ問題だったのが、知らず知らずのうちに『高コスト体質』になっていたことでした。黙っていてもめちゃくちゃ儲かるなかで、自然とそうなってしまったのです」

話題の企業】全国33スキー場の「知」を結集して快進撃 マックアース
http://news.goo.ne.jp/article/senkei/bizskills/senkei-20150302-04.html
戦略経営者2015年3月12日(木)13:00

 北は北海道から南は徳島県まで、全国33カ所のスキー場を運営するマックアース。もともとはホテル業をメーンにしていた一ノ本達己社長(47)が、スキー場経営に乗り出したのは2008年のこと。それからわずか6年で急成長をとげた。

 バブル期のスキーブームのときに比べ、スキー場の来場者数は約3分の1に減っているという。リフト前に大勢の列ができたのは、いまや昔。閑古鳥が鳴いているスキー場も珍しくない。なぜここまでブームが下火になったかというと、メディアがスキー場を取り上げる機会が90年代後半をさかいに極端に減ったことも関係している。人気絶頂だった94年ごろは、ドラマのロケにスキー場が使われたり、ワールドカップのテレビ中継もあった。スキー場にとって不運だったのは、これまで自発的なマーケティング(広告・宣伝)で来場者を集めたわけではなかったこと。メディアの露出が減るなかで、なんの対抗策も取れずにいた。

 「マーケティングの他にもう一つ問題だったのが、知らず知らずのうちに『高コスト体質』になっていたことでした。黙っていてもめちゃくちゃ儲かるなかで、自然とそうなってしまったのです」

 経営不振に陥ったスキー場をよみがえらせる「再生請負人」の異名をもつ一ノ本社長の手法は、まずはこの二つの問題点を解消することからはじまる。

 コスト削減については、,●それまでメーカーに丸投げしていたリフト整備を自前で行うようにしたり、●値段の安い海外製の降雪機を使うなどの対策をとる。ただし間違っても「宣伝広告費」を削るようなことはしない。●スキー場は、ゴルフ場などよりも「第1次商圏」が広い。来場者を増やすためには、テレビCMなどを通じたPRがどうしても必要になってくる。

 「また、一度来場してくれた人に『ダイレクトマーケティング』を仕掛けることも大切です。例えば、当社が運営する猪苗代スキー場では、『リボンクラブ』の名称でウェブ会員を募り、ダイレクトメールを送るなどして翌シーズンも足を運んでもらえるように働きかけています」

 そして、 コストカット マーケティングの二つに加えて、もう一つ重要なのが 企画力だという。リクルートの『じゃらん』における「19歳リフト券無料」のキャンペーンに立ち上げ段階から関与し成果をあげたことからも、それがよく分かる。

 ●「社会人1年目や大学1年生にあたる19歳でスキー場に来なければ、かなりの確率で一生スキーやスノボをやりません。『いかにマーケットを創造するか』の視点で考えると、たとえリフト券を無料にしてでも、19歳の人に来てもらう必要があるのです」

 リフト券が無料でもレストランで食事をしてもらったり、ウエアや板をレンタルしてもらえればお金は落ちる。約80%の人が20歳になってからも利用してくれている点を踏まえても、この企画は十分にアリなのだ。

数を手がけることに意義がある

 ハチ高原(兵庫県養父市)のスキー場近くにある「パークホテル白樺館」。一ノ本社長の社会人としての生活は、父が創業したその旅館に入社するところから始まった。冬はスキー、夏は野外体験といった企画で学校関係の団体客を数多く集めることに成功。1995年に社長に就任した。

 やがて一ノ本社長は「ほかの場所でも自分の実力を試してみたい」との思いから、02年に滋賀県の国境スキー場の近くにホテルを出した。間もなく経営は軌道に乗ったが、国境スキー場を西武鉄道グループが手放すという話が浮上した。スキー場がなくなると大きな痛手を被る同業者仲間から「ぜひ引き継いでほしい」と背中を押されたこともあり、08年に買収に踏み切った。

3215とはずがたり:2015/03/14(土) 07:39:36
>>3214-3215
 「家の前がスキー場ということもあってスキーには幼少の頃から慣れ親しんでいました。高校生のときには国体に出場。大学時代もスキーに明け暮れました。全国のスキー場を転戦するなかで『自分がこのスキー場の経営者なら、コースづくりはこうするのに』とよく考えていたものです。スキー場経営は密かな願望だったんです」

 国境スキー場を皮切りに、黒姫高原スノーパーク(長野県)など複数のスキー場を買収し、再建に取り組んだ。転機となったのは、菅平高原パインビークスキー場(長野県)再建への着手。ここは、人工降雪機や圧雪車でよいゲレンデを作ることにかけては、他のスキー場よりもはるかにハイレベルだったが、パンフレットを一度も作成したことがないなど、マーケティングに関してはまるで稚拙だった。その落差に驚くとともに、スキー場にはそれぞれの「個性」があることに気づいた。リフト整備を自前でやれるところもあれば、お客さんを会員化する仕組みを築いているところもあるなど、良い部分と悪い部分をそれぞれ持っていた。

 「スキー場のビジネスは数をこなす必要があるのではないか、と思うようになりましたね。あるスキー場の良いところを別のスキー場に落とし込んでいくかたちで、グループ全体の底上げを図る。つまり、それぞれのスキー場が持っているノウハウをグループ全体で共有化することにより、経営不振のスキー場を再生できるのではないかと考えたのです」

 手がけるスキー場が増えれば増えるほど、 経験値 は高まっていく。33カ所のスキー場を運営するようになったいま、すべての施設の営業年数を合計すると1403年にもなる。それだけの経験値がマックアースにはあるわけだ。こうした「知の結集」を武器に、コストカット、マーケティング、企画の3点に力を入れることで業界大手と呼ばれるまでに成長をとげた。

地域雇用を維持するためにも

 数をこなすこと自体が武器になるとはいえ火中の栗を拾うがごとく、一ノ本社長が経営不振のスキー場再建につぎつぎと挑んでいるのは「スキー場に育ててもらった」との思いがあるから。「スキー場はもはや斜陽産業だからダメ」と切り捨ててしまうのは、自分の生い立ちを否定することに等しい。

 「たしかに経営が苦しいスキー場が全国にたくさんあります。でも地域の雇用を維持する産業として、スキー場に代わるものがあるでしょうか。スキー場を盛り上げることは、過疎化に悩む中山間地域の人々の暮らしを守るうえでも重要なことなんです」

 国内のスキー人口が減少しているといっても、それはあくまで異常な盛り上がりをみせたバブル期と比べてのこと。実は、リフト1本あたりの来場者数で見ると今でもオーストリアやイタリアとほぼ同じ水準にある。国際的に見れば、決して少ないわけではないのだ。やり方さえ間違わなければ、産業としてきちんと成り立つレベルなのである。

 「生活圏からわずか1-3時間でスキー場に行けるという恵まれた環境にあるのは日本とスイスくらい。スキー人口が増えている中国や東南アジアの人たちを呼び込むなどすれば、成長できる余地はまだまだあると思っています」

COMPANY DATA
設 立 2008年1月
所在地 兵庫県養父市丹戸896-2
売上高 約160億円(2014年9月期)
社員数 280名
URL http://macearthgroup.com/


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