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Tohazugatali Tourist Bureau

319千葉9区:2009/06/19(金) 23:17:10
>>285
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/domestic/japan/20090618tb01.htm?from=yolsp
海底炭鉱 栄枯盛衰の跡 軍艦島・長崎
 長崎港から20キロの沖合に浮かぶ軍艦島――海底炭鉱の島として日本の近代化を支え、1974年の閉山後、立ち入りが禁止されていた。35年ぶりに上陸観光が解禁されたのは4月末のこと。それからというもの、ツアーは連日満員のにぎわい。写真集も数多く刊行されるなど、昭和のまま時が止まった「幻の海上都市」への関心は過熱する一方だ。

 長崎港からフェリーで訪れるのが一般的だが、あえて車で南下して野々串漁港から目的地を目指す。「夫婦岩」越し、あるいは対岸の高浜海岸など様々な場所から大きさも形も変化する島の雄姿が見られるからだ。

 船が出るまで少し時間がある。漁港近くの食堂で刺し身を食べた。スズキ、トビウオ、ヤズとどれも新鮮でこくがある。デザート代わりに国道沿いの露店で購入したビワは、首都圏の半値以下! 安くておいしい。

 元島民の木本太市さん(64)から島名の由来を教わった。「建物が林立する姿が遠くから見るとまるで軍艦のように見えたから軍艦島。でも正式な名前は端島。元島民で軍艦島と呼ぶ人は誰もいないよ」

 いよいよ船上の人になったが、木本さんの言う通り、軍艦にそっくりの島影がどんどん大きく迫ってきて思わず息をのむ。

 だが、意外と漁港から近い。10分もしないうちに到着していた。島の中腹に生い茂った緑と所々に残されたレンガの遺構の茶色。それしか明るい色彩はない。あとは崩れたコンクリートのグレーや黒ばかり。「モノクロームの世界」に入り込んだようだ。

 周囲約1・2キロ・メートルと狭い島のうち、見学通路は南西側の約300メートルだけ。建物の中には入れない。

 古代遺跡のような柱が並んでいるのはベルトコンベヤーの跡。レンガの壁が部分的に残る建物は炭鉱の総合事務所で、かつてはその中に巨大な共同浴場があった。さらに1916年に建てられた日本最初の鉄筋コンクリート造りの高層アパートの姿も見える。

 「島はかつて日本の未来図と言われたんだよ」。元島民でNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長(55)が、ツアー客に1960年前後の新聞を掲げて見せる。


 最盛期は5300人もの人々が住んだ。「人口密度なら世界一」と記事は誇らしげだ。建物は中空へと延び、お互いが階段やブリッジで連結された。役場、小中学校、病院、映画館などの施設が完備された。

 しかし、政府のエネルギー政策の転換によって炭鉱はあっけなく閉山し、無人の島になった。坂本理事長が言葉を継ぐ。「皆さん、この廃虚と化した島が、これからの『日本の未来』を予言しているとしたらどうします?」

 創造と破壊は決して不連続ではなく、繁栄と衰退は常に表裏一体であることを改めてかみしめる。あるべき日本の未来図とは――真剣に考えるべしと、島が全身で訴えているようだ。(市原尚士、写真も)

 (次回は栃木・那須)

 ●あし 羽田から長崎空港まで約1時間50分。空港からリムジンバスで長崎市内まで約50分。長崎港旅客ターミナルビルから軍艦島まで約40〜60分。

 ●問い合わせ 軍艦島コンシェルジュオフィス=(電)095・895・9300 長崎市さるく観光課=(電)095・829・1314

(2009年6月18日 読売新聞)


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