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Tohazugatali Tourist Bureau

1648チバQ:2012/05/06(日) 20:04:21
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120502-00000043-mailo-l03
新いわて紀行:/1 宮沢賢治記念館 「自然と共生」世界に触れて 「雨ニモマケズ」復興の力に /岩手
毎日新聞 5月2日(水)11時43分配信

 昨年、世界文化遺産に登録された「平泉」を、旧制盛岡中(現・盛岡一高)の4年だった宮沢賢治(1896〜1933年)が修学旅行で訪れたのは、ちょうど100年前。晩年に記したとされる短歌「中尊寺」の自筆原稿の特別展が現在、記念館で開かれている。学芸員で副館長を務める牛崎敏哉さん(57)は「奥州藤原氏が極楽浄土の実現を目指した平泉と、人々の幸せを願って農業指導などに奔走した賢治の思想は重なる」と解説する。
 花巻市出身で市職員の牛崎さんが本格的に賢治文学に触れたのは、賢治作品を主な題材とする「劇団らあす」の旗揚げに参加してからだ。劇団発足は1984年と、記念館開館から2年が経過していたが、当時はまだ世間にそれ程広く賢治のことは知られていなかった。演劇で賢治作品を岩手なまりで朗読した時、東北の自然と共に生きた賢治が作品に込めた世界を身近に感じられたようになったという。それから研究に没頭し、詩や童話、評論などの分野で執筆を続けてきた。
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 震災後の昨年4月、牛崎さんは小学校から中学校時代まで過ごした大船渡市を訪れ、壊滅的な惨状に言葉を失った。被災者たちを励まそうと11月には賢治の童話50冊を釜石市の図書館に届けた。だが、「本は届けたけれど復興のために、自分は何ができるのか」と考えた。
 そして、地元の子どもたちと一緒に、理想の広場を追い求めた賢治の童話「ポラーノの広場」を題材にした演劇に力を入れるようになった。復興の担い手となる子どもたち。「演劇を通して、自分たちがこれからも生きていく古里で、新しい未来を切り開いていく糧にしてほしい」という願いを込めた。
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 くしくも明治三陸津波があった1896年に生まれ、昭和三陸津波のあった1933年に亡くなった賢治は、震災後、改めて注目されている。代表的な詩「雨ニモマケズ」は、復興へと立ち上がろうとする多くの人たちの共感を呼び、被災地で支援に入ったボランティアたちも多く訪れるようになった。牛崎さんは「賢治が生涯のほとんどを過ごしたこの花巻市に多くの人に来てもらい、自然と共生した賢治の世界に触れてもらえれば」と話している。【金寿英】
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 JRや県、観光業界などが一体となって観光客誘致に取り組む「いわてデスティネーションキャンペーン」が4月1日に開幕し、東日本大震災からの「復興元年」を迎えた県内各地では、特別な思いで観光客を迎えている。各地の魅力や、そこに携わる人たちを4回にわたって紹介する。
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 ◇宮沢賢治記念館
 1982年、命日にあたる9月21日に開館。市街地が一望できる小高い丘にあり、賢治の生涯を伝える資料や愛用したチェロなどが展示されている。来館者は今年で660万人に達した。入館料は小中学生が150円▽高校生・学生250円▽一般350円(団体割引あり)。新幹線新花巻駅から2キロ。問い合わせは(電話0198・31・2319)

5月2日朝刊


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