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法学論集
2799
:
とはずがたり
:2018/11/10(土) 15:17:50
>>2798
▼犯罪抑止効果なし
現在、EU加盟には死刑廃止国であることが条件となっているが、フランスで死刑廃止が可決されたのは1981年、ミッテラン政権下だった。倫理上の問題は国民投票にかけないとし、議会決定のみで断行された。西ドイツが49年、オーストリアが68年に死刑廃止に踏み切ったことを考えると、欧州の中では遅い方だった。
法案提出にあたっての当時の司法大臣、ロベール・バダンテール氏の際の演説は歴史に残る名演説とされているが、6割を超える人が死刑存置派だった時代に、その何が世論を動かしたのか?
まず、バダンテール氏は1889年から1907年にかけての約20年間の死刑執行数と殺人事件数を具体的に引用、比較している。
1889年から97年にかけては、3066件の殺人事件があり、死刑が執行されていた。しかし、98年から1907年にかけては、当時の大統領は死刑執行をいとい一貫して特赦を施していたにもかかわらず、その間の殺人事件は1068件と少なかった。
つまり、「死刑と殺人事件の減少に関連性はない」ということである。そして、犯罪減少に効果がないとすれば、「死刑制度を存置するかどうかは、その国が選択する政治的モラルの問題」ということになる。
▼極悪人も社会の一部
死刑存置を望む人々の論理に多いのは「いったい、どういう理由で、国民の血税で犯罪者を刑務所の中でぬくぬく養わなければいけないのか」というものである。
凶悪な犯罪人は無用、存在してはならない生として社会から切り捨てる。それは、一見、合理的だ。
しかし、バダンテール氏は演説の最後の部分でこう指摘する。「民主主義は、そういう排除の論理とはきっぱりと手を切るべきではないか? 残虐行為を犯す極悪人も、社会の一部であることを引き受けようではないか」と。
前述したアブデスラム被告は、今年2月にブリュッセルで行われた警官銃撃に関する裁判で、最初から「裁判など怖くない。信じるのはアラーのみ」と言い放ち、裁判官の質問には一切答えなかった。傲然(ごうぜん)とした態度を貫き、被害者の家族に対する謝罪も、説明も一切なかった。
それでも、彼は社会の一員である。たとえ犯罪人であっても、私たちはその命を受け入れなければならない。司法の歴史は、死には死をもって報復したいという、人間として実に自然な感情から、私たちを引き離す立場に立って発展してきたからだ。EUの共同声明は、死刑復活への声がやかましく挙がる欧州の国々に、いわば自分たちに対して、再度、死刑廃止の立場を明らかにするという、意味合いもあったのではないだろうか?(パリ在住、プラド夏樹)
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