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法学論集

2417名無しさん:2015/10/04(日) 18:18:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151004-00000046-jij-soci
奥西死刑囚が死亡=無実訴え拘置46年、再審請求中―名張毒ぶどう酒事件
時事通信 10月4日(日)14時16分配信

 「名張毒ぶどう酒事件」で殺人罪などで死刑が確定し再審請求中だった奥西勝(おくにし・まさる)死刑囚が4日午後0時19分、肺炎のため収容先の八王子医療刑務所(東京都八王子市)で死亡した。
 89歳だった。1969年の控訴審で一審無罪判決が破棄されて逆転死刑となり、身柄を拘束されてから46年。その後、最高裁で確定したが、無実を訴え続けていた。
 特別面会人の稲生昌三さん(76)によると、奥西死刑囚の妹に同日午後、死亡の連絡が来た。2人は鈴木泉弁護団長らとともに同日中に八王子医療刑務所に向かい、5日には名古屋で記者会見を開く意向という。支援団体からも声明が出される見込み。
 61年3月28日夜、三重県名張市の公民館で開かれた地区住民の懇親会で、農薬が混入されたぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡。妻と交際相手を亡くした奥西死刑囚が「三角関係の清算のためにやった」と自白し逮捕されたが、起訴直前に否認に転じた。64年に一審津地裁は無罪としたが、名古屋高裁が死刑を言い渡し、72年に確定した。
 その後再審請求は棄却され続けたが、第7次請求審で名古屋高裁は2005年、「状況証拠から奥西死刑囚が犯人と推認できず、自白の信用性にも疑問がある」として再審開始を決定。しかし同高裁の別の部が検察側の異議を認めて決定を取り消した。最高裁は審理を差し戻したが、同高裁は12年5月に再び開始決定を取り消し、最高裁も改めて弁護側の特別抗告を棄却。第9次再審請求で争っている。
 奥西死刑囚は12年5月の開始決定取り消し後に熱を出し、名古屋市内の病院に入院。翌6月に八王子医療刑務所に移送されていた。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151004-00000022-asahi-soci
名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中
朝日新聞デジタル 10月4日(日)13時47分配信

 三重県名張市で1961年、女性5人が死亡した名張毒ブドウ酒事件で、無実を訴え続けた奥西勝(おくにしまさる)死刑囚(89)が4日、収監されていた八王子医療刑務所(東京)で死亡した。支援者が明らかにした。72年6月に最高裁で死刑判決が確定してから、収監期間は43年に及び、強盗殺人事件で70年に死刑確定の尾田信夫死刑囚に次ぎ、獄中生活は国内で2番目に長かった。

 死刑確定後も裁判のやり直しを求め続け、今年5月に第9次の再審請求。弁護団は、新証拠を提出していた。

 事件は54年前の61年3月28日夜、名張市の山間部で起きた。地域の懇親会でブドウ酒を飲んだ女性17人が中毒症状を起こし、5人が死亡。奥西死刑囚は農薬をブドウ酒に混ぜたと自白後、逮捕されたが、起訴前から犯行を否認し、64年に津地裁で無罪判決を受けた。しかし、名古屋高裁は69年に死刑判決を言い渡し、72年に最高裁で確定した。

 35歳で逮捕され、一審の無罪判決で釈放された約5年間をのぞいて、刑事施設に収容された期間は約50年だった。

 一度は、再審の扉が開いた。7度目の再審請求で、2005年に名古屋高裁が再審開始を決定したが、06年に検察側の異議申し立てを受けた同高裁の別の裁判長が再審決定を取り消した。さらに10年、最高裁が審理を同高裁に差し戻したが、名古屋高裁は12年5月、「奥西死刑囚以外に農薬を混入しえた者はいないという判断はいささかも動かない」と結論づけた。奥西死刑囚は13年11月、名古屋高裁に第8次再審請求をしたが、14年5月に棄却。

 肺炎を患った奥西死刑囚は、12年6月に八王子医療刑務所に移された。肺に直接酸素を送り込む状態で、今年8月に40度超の高熱を出して意識を失うなど体調不良が続いていた。

 35歳で逮捕された奥西死刑囚は、最高裁で死刑が確定した後の収監期間が40年を超え、1987年に獄中死した「帝銀事件」の平沢貞通・元死刑囚(当時95)の32年を上回った。

朝日新聞社


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