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法学論集
2202
:
名無しさん
:2015/06/24(水) 23:24:17
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150622-00000001-pseven-soci
作家になりたいと語っていた少年A 18歳で書いた小説の内容
NEWS ポストセブン 6月22日(月)7時6分配信
「殺人体験」を描いた手記『絶歌』(太田出版)を発表し、被害者や遺族の心情を踏みにじって、高額な印税収入を得る元・酒鬼薔薇聖斗。32歳の「中年」になった彼は、少年法の匿名特権「元少年A」を名乗ったまま、自己満足の“贖罪”を果たして悦に入っているのか。
緑の多い敷地を分厚い灰色の壁が囲んでいる。東京・府中市にある関東医療少年院。コンクリート造りの無機質な建物の一室で、色白で華奢な体格の青年がはっきりとこういった。
「僕は作家になりたい」
2001年1月、医療少年院に講師として招かれ、少年らの授業を受け持った童話作家・森忠明氏に将来の希望を尋ねられ、当時18歳だった少年Aが答えた言葉だ。本誌2001年3月9日号『全文掲載 18歳・酒鬼薔薇が綴った「700字小説」』で明かしたエピソードである。森氏が振り返る。
「当時から際だって表現欲求が旺盛でした。ただし、私が彼に会った14年半前にはすでに彼の中にいた魔物はおらず、“抜け殻”のような印象がありました。
たしかに私は彼に“小説を書いたらどうか”と勧め、彼はその約束を守って今回の本を書いたのかもしれません。ですが、“抜け殻”の彼が今後、歴史に名を残すような作家になれるとは思っていません。いま彼を支えているのは、“自分を表現したい”という自己顕示欲だけなのかもしれない」
6月11日に『絶歌』が刊行された翌日、被害者遺族は「重大な二次被害を受ける」と出版社に抗議し、本の回収を申し入れ、一部の書店では販売を自粛する動きも出た。
事件から18年。Aの手記発表により、惨劇の記憶は再び呼び覚まされた。
1997年5月27日早朝、Aが通っていた兵庫県神戸市内の中学校正門前で、切断された児童の頭部が発見された。土師淳君(当時11歳)の口内には「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る犯人から〈さあゲームの始まりです。(中略)ボクは殺しが愉快でたまらない〉との声明文が押し込まれていた。
1か月後、当時14歳だったAが逮捕され、同年2月、3月に起きた連続女児殺傷事件もAの犯行だったと判明する。
Aは2004年3月の仮退院まで6年半、関東医療少年院で更生・治療を受けた。森氏がAと接する機会を持ったのは、Aが入所して3年を少し過ぎた頃である。
「当時、彼からマス目いっぱいに几帳面な文字で書かれた短編小説を渡され、“感想をいってもらえませんか?”と請われました。一読して内容が理解できるような代物ではありませんでしたが、青春の虚しい心象と、決定的な喪失感が独特の文体によって書かれていると感じました」(森氏)
18歳の青年Aが書いた小説の一部を改めて抜粋する(以下、原文ママ)。
《題 愛想笑いに手には名刺を
『桜木町』、『桜木町』。僕の横から現れた彼女に風太郎は書きかけの手帳を慌てて仕舞い込む。彼女の口許には絶えず微笑が刻み込まれているがまだ、十代のあどけなさが残っている。
「この乗り物は、桜台二丁目まで行きますの?」はっと我に返った僕は職業心が芽生える。まだ間もない身ではあるが。
「奇遇ですね、私の地本なんです」》
奇妙なタイトルもさることながら、内容も要領を得ない。誤字も散見された。
※週刊ポスト2015年7月3日号
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