したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

法学論集

2095とはずがたり:2015/02/15(日) 17:46:56
 「キャーッ、キャーッ」>>2094-2095
 女性が叫び声をあちこちで上げながら大規模摘発から逃げまどったのは、今から10年ほど前の16年12月だった。

 機動隊の大型車両で突然乗り付けた多数の警察官が地区内へ突入。県警の徹底した浄化作戦の始まりだった。叫び声が風俗街の断末魔のように響く中、全ての店の扉が次々と閉じられていった。

 「ちょんの間」壊滅を目指す県警は本気だった。店の再開と取り締まりのいたちごっこを避けるため、その後も警察官を24時間態勢で巡回させた。翌17年1月には“売春・買春にbye-bye(さよなら)”を意味する「バイバイ作戦」も、周辺住民とともにスタートした。

 県警は、近くの町内会館に「前線本部」を置いて警戒や取り締まり、店が入っている建物の管理者対策などを徹底。ほどなく、風俗街の“本丸”だった高架下へ前線本部を進出させて監視をさらに強めた。

 都市計画が専門で、街の再生を手助けしてきた横浜市立大の鈴木伸治教授(46)は「そもそもダメだったことが長年黙認されていた。これほどの規模での一斉摘発は、近年なかなか存在しない」と評価する。

■アートの街へ変貌も、再生は道半ば

 バイバイ作戦と並行する形で、人通りの途絶えた地区の再生に向け、地域住民や行政が目をつけたのがアートの活用だ。きっかけは18年6月、かつてちょんの間だった建物を市が借り上げて利用者を公募した結果、芸術家が入居したことだった。

 20年には地区全体で作品展示やイベントなどを行う「黄金町バザール」がスタートし、翌21年、アート活動を束ねるNPO法人「黄金町エリアマネジメントセンター」が発足した。

 かつてちょんの間として使われていた部屋の一部は芸術家の活動拠点となり、京急電鉄の高架下にもギャラリーや工房、カフェなどが設けられ、一見すると順調に街の再生は進んでいるようにみえる。

 23年から活動するアーティストの山田裕介さん(31)は「作品にはセメントを使うので、実家ではできなかったが、ここなら大丈夫。ほかのアーティストもいて創作の刺激になる」と話す。かつてのちょんの間にはトイレやシャワーもあり、路上に開けているため近所の子供たちが「何を作っているの?」などと話しかけてくることもあるという。

 しかし、いまだに当時の面影を残したままの建物もあり、谷口さんは「こうした建物の所有者は撤去を拒否している。虎視眈々(たんたん)と再開を狙っているのかもしれず、手を緩めることはできない」と警戒する。10年が経過し、作戦に関わってきた地域住民の高齢化も進んでおり、後継者の育成は大きな課題だ。

 また、人いきれでむせぶようだった10年前に比べ、「街のにぎやかさが欠ける」と指摘する声もある。これに対して鈴木教授は「(ちょんの間が)24時間営業していた10年前が異常だった。かつてのように人でごった返すことは、もうないだろう。今後は、近隣の伊勢佐木町や横浜橋の商店街といった特色ある地区と連携するのも1つの手だ」と話す。

 県警の前線基地の役割は、21年4月に近くで新設された黄金町交番へと受け継がれ、今では地域の安全を静かに見守る。

 大きく変わった街の風景に、「かつては、この地域に対して自信を持てないことが、とても嫌だった。この10年で、よくここまで来たと思う」と振り返る谷口さん。

 さまざまな課題を抱えながらも、「今後もみんなで力を合わせ、胸を張って『黄金町に住んでいる』と話せるようにしていきたい」と決意を新たにしている。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板