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法学論集

2094とはずがたり:2015/02/15(日) 17:46:24
いつ頃だったか西川口も潰滅に追い込まれたし此処も解体されたらしい。ソープだって厳密には違法だし不公平感は否めない。警察からの天下りの有無等で決まるならもっと違法くさいんちゃうの?
街から猥雑さがなくなって毒にも薬にもならないアートの街なんかに成られても面白くもなんともないような。。

『天国と地獄』の売春窟「黄金町」が“アートの街”に変貌途上
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150202-00000518-san-l14&pos=5
産経新聞 2月4日(水)11時35分配信

 横浜市中区の黄金町地区。ここはかつて「ちょんの間」と呼ばれる違法風俗店がひしめく売春街として知られ、黒澤明監督の映画「天国と地獄」で誘拐犯が覚醒剤を使って殺人事件を起こす“地獄”として描かれた舞台でもある。ずらりと並んだ薄着の女性が道行く男を誘惑する光景は、おしゃれな横浜のイメージとかけ離れたものだったが、それが変わり始めたのが10年ほど前。神奈川県警や周辺住民らの浄化作戦をへて、猥雑(わいざつ)な色街は今や「アートの街」へと変貌を遂げつつある。(小野晋史)

■500人以上の外国人女性が声をかけ…

 摘発前の黄金町地区では、1つの建物の入り口を1間(けん)(約1・8メートル)ほどの間口で複数に区切り、それぞれが1つのちょんの間として営業していた。表向きは小料理店やスナックといった飲食店を装い、ピンク色の明かりで照らされた店内の1階はカウンター。階段を上がると2畳ほどの狭い部屋に布団が敷いてあったという。

 男性客は気に入った女性を選んで1万円ほどの代金を支払い、2階で“本来の目的”を済ませると店を出ていく仕組みで、20〜30分程度の“ほんのちょっとの時間”で終わることから、ちょんの間と呼ばれた。

 地元で長年にわたり街の浄化作戦に取り組んできた「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」副会長の谷口安利さん(74)によると、こうした店は京急電鉄黄金町-日ノ出町駅間の高架下両脇に最盛期で約260店が軒を連ね、24時間営業で客を集めていた。

 「オニイサン」「イラッシャイ」

 それぞれの店の前には、薄着姿の女性が立ち、片言の日本語で男性客を誘惑した。500人以上はいたとされる女性たちの多くは中国や韓国、東南アジアやロシアなど、さまざまな国からやって来た外国人。女性同士が話すさまざまな外国語が飛び交い、店内から漏れたピンク色の明かりが路上を照らし出す。信心深いタイの女性がたいたとみられる線香の香りも漂い、妖しげな雰囲気が満ちあふれていたという。

 道路の幅は2〜3メートルほどと狭く、夜になると冷やかしも含めて歩き回る多くの男性たちで混み合い、淫靡(いんび)なにぎわいを見せる一方で、多額の売り上げが暴力団の資金源になっていたとの話もある。

 黄金町地区のちょんの間は戦後長らく京急電鉄の高架下で営業し、当初、女性の多くは日本人だった。転機となったのは平成7年の阪神・淡路大震災で、高架の耐震補強工事が必要となって立ち退きを迫られた店が、道路の向かい側に次々と移転。

 向かい側には一般住宅もあったが、ちょんの間の間に挟まれると嫌がって引っ越しが進む“オセロ効果”で徐々に入れ替わった。結果的に全体の店舗数も増え、女性の大半が外国人となっていたという。

■10年続いた警察の監視 “本丸”に「前線本部」を進出

 こうした状況に対し、地域住民たちもついに我慢の限界を超えた。街のイメージ悪化に加え、違法風俗街と小学生の通学路が交差していたことや、地区の裏側を流れる大岡川に面した道路沿いにも店が広がり始めたことで危機感が高まり、平成14年9月に「風俗拡大防止協議会」を結成。翌年には現在の「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」となって、21年開催の横浜港開港150周年イベント「開国博Y150」を控えていた横浜市や神奈川県警などと協力して本格的な対策に乗り出した。


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