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法学論集
1189
:
とはずがたり
:2008/06/20(金) 13:59:37
「ようやくかという印象」作家、佐木隆三氏 宮崎勤事件
2008.6.17 13:34
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080617/trl0806171333006-n1.htm
宮崎勤死刑囚の公判を1審から最高裁判決まで傍聴し続け、著書「宮崎勤裁判」を出版した作家、佐木隆三氏は、死刑執行を受け、産経新聞の取材に次のようにコメントした。
◇
1審から最高裁判決まで非常に長かった裁判だったが、死刑確定から2年半ほどたっており、死刑執行されたことには違和感は感じない。むしろ「ようやくか」という印象を受けた。
公判では、宮崎死刑囚の精神内界が争点になったため、その言動を見届けようと傍聴を続けてきた。拘置所で宮崎死刑囚は、思想家の岸田秀氏が翻訳した哲学書などを差し入れてもらい読んでいたという。法廷での様子やこうした行動などを考えると、宮崎死刑囚は精神疾患を装った「詐病」だとしか思えなかった。
公判で3つの精神鑑定が実施され、人格障害、統合失調症、多重人格と3種類の鑑定結果が出たが、判決が人格障害という結果を採用し、完全責任能力を認めたことも納得できる。
この事件以降も、幼い女の子を誘拐し、殺害する凶悪事件が後を絶たない。奈良の幼女誘拐殺害事件では、被害者は1人でも死刑判決が確定している。それから見ても、4人もの被害者を出した宮崎死刑囚の事件はいかに大きく、恐ろしい犯行だったかということが分かる。
しかし、「おたく」という新しい文化や、ビデオ撮影や犯行声明といったツール(道具)を使用した犯行態様など、奇異な側面ばかりが強調されることが多かったため、この事件の卑劣さを世間が忘れがちだった感は否めない。
この事件が社会に与えた衝撃は極めて大きく、この事件以降、犯罪の性質が変わったという意見もある。しかし、事件から20年がたった今、はっきりといえることは、この事件が、完全責任能力のある人間による幼い女の子を狙った卑劣で凶悪な性犯罪だったということだ。 (談)
奇行の数々…真相は“闇”のまま 宮崎勤事件
2008.6.17 11:09
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080617/trl0806171110002-n1.htm
現場検証する宮崎勤死刑囚 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)に17日、死刑が執行された。事件を通じて女児への執着心、アニメなどのビデオテープが大量に積み上げられた自宅の様子が明らかになり、当時はまだ物珍しかった「ロリコン」「オタク」といった言葉が世間に広まるきっかけともなった。逮捕後もこうした“奇行”ぶりは変わらず、弁護人らとの接見でも奇妙な言動を繰り返し、社会を困惑させ続けた。
宮崎死刑囚が犯行当時住んでいた自宅は、東京都五日市町(現あきる野市)にあった。自室は母屋の横にあった「離れ」。その中には、6000本ものアニメや特撮もののビデオテープがあった。この自室で東京都江東区の幼女の遺体をのこぎりで切断し、自宅裏庭で埼玉県入間市の幼女の遺体を焼いた。
父は印刷工場を持ち、月4回発行の地元紙を発行する裕福な家庭だったが、その父は平成6年1月に「疲れた」と遺書を残し川に投身自殺。宮崎死刑囚によって殺害された4人の幼女だけでなく、自身の家族までもが事件の犠牲となった。
自らの事件によって周囲に起きた不幸も、宮崎死刑囚にとっては「どこ吹く風」だったのだろうか。父が自殺したことについては法廷で「死んでくれてスッとした」。弁護人との接見では、「何人かの人が自分をいじめる相談をしているのが聞こえる。『針で(死刑囚の)目を指すのは自分がやる』と話し合っている」と幻聴を訴えたり、独房で「うぉ、起きろ」と突然、大声を上げたりすることもあったという。
いずれも「奇行」にも受け取ることができる行動だが、自身の「無罪」だけは強く主張していた。月刊誌の編集者や心理学者などと手紙のやり取りを続け、「自分は無罪」と記し、死刑判決確定後に面会した臨床心理士に「何かの間違いです。そのうち無罪になります」と語った。
無罪を訴える一方で、奇妙な言動を繰り返した宮崎死刑囚。どちらが本当の宮崎死刑囚だったのか。最後まで真の「心象風景」は判然としないまま、死刑場で45年の生涯を閉じた。
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