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Tohazugatali Medical Review

947千葉9区:2009/06/08(月) 22:01:53
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090607-00000606-san-soci
臓器移植 脳死は人の死か…議論再燃
6月7日23時57分配信 産経新聞

 「『脳死は人の死』では絶対にありえない」

 東京都内で3月25日に開かれた移植法改正をめぐる集会。法改正に慎重な立場を取る、東京都大田区の主婦、中村暁美さん(45)が声を震わせ訴えた。

 中村さんは平成19年に長女の有里ちゃん(4)を亡くしている。有里ちゃんは17年12月に突然けいれんを起こし病院に搬送。急性脳症となり、「医学的な脳死」状態に陥った。

 現行法では、臓器提供される場合に限り「脳死を人の死」と定義している。だが、仮に法律が「脳死は人の死」と一律に認める内容だったら、入院直後に「死亡宣告」がされていたことになる。

 「『死』なんて納得できなかった」。中村さんは治療継続を要望した。人工呼吸器を付け、見た目は眠っているような状態だが、身長は伸び、体重も増えた。涙も流す。排泄(はいせつ)もする。

 「笑ったり、泣いたりできたときもいとおしかった。眠り姫になった有里もさらにいとおしくなっていった」と中村さんは振り返る。

 「脳死は人の死とする」。この定義を受け入れるか、受け入れないか。臓器移植法の改正をめぐって 議論が再燃している。国会に4本出されている法案のうち、1本(A案)は基本理念として、一律に脳死を人の死とする内容を盛り込んでいる。

 再燃というのは、平成4年にも、同じ議論があったためだ。4年1月23日付の各新聞。1面に「『脳死は人の死』容認」の大きな文字の見出しが躍った。政府の「臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)」が出した答申を報じたものだ。

 だが、「果たして、脳死は人の死とする社会的合意があるのか」という声が上がり、9年施行の臓器移植法では、「臓器を提供する意思がある場合に限って『脳死を人の死』」と定義した経緯がある。

 中村さんとは逆に、「脳死は人の死」とすることに理解を示す家族もいる。

 22年前に米国留学中の長男=当時(23)=の脳死提供を決めた広島県在住の千葉太玄(たいげん)さん(74)。長男が寮の窓から誤って転落。5日目に「脳死」と宣告された。米国では宣告は人の死を意味する。遺族の了解があれば臓器提供も可能だ。

 「生の世界に引き戻そうと努力してくれた医師から脳死の息子の死亡宣告を受けた。信頼していた医師からの、ていねいな言葉。すっと胸に入り、死を受け入れられた」

 長男の心臓、肝臓、腎臓、角膜が計6人に移植された。現地の移植コーディネーターから届いた「命の贈り物によって多くの人が救われた」という感謝の手紙に、「息子が『お父さんのおかげでいろいろな人の役に立てた』と喜んでくれているように思う」。

 「脳死」に向き合う最前線の救急医療現場もジレンマを抱える。年間約1200人の重症患者が担ぎこまれる市立札幌病院(中央区)の救命救急センター。

 鹿野恒副医長は16年から、「医学的な脳死」状態になった患者家族らに、心停止後に家族の同意で移植ができる腎臓と眼球の提供意思を尋ねている。これまで、40家族のうち約6割が応じた。しかし、「体が温かい患者をさして、家族に『これは死です』とはいえない」と揺れる胸の内を語る。

 いつの時点で、何を持って人の死を定義するのか。もし自分が、家族が脳死状態になったら…。誰にも死はやってくるが、死を考えたり、議論することはタブー視されがちだ。脳死臨調の回答から17年。移植法施行から12年。国会を舞台に、当時と同じ議論が繰り返されている。


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