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Tohazugatali Medical Review
611
:
名無しさん
:2009/01/11(日) 02:46:48
被爆者医療に尽力
2009年01月10日
◆旧長崎医大病院看護長 久松シソノさん死去
▼永井博士の精神継承
http://mytown.asahi.com/nagasaki/news.php?k_id=43000000901100002
原爆投下直後に看護婦として故・永井隆博士と共に救護に奔走し、戦後も長く被爆者医療に尽くした久松シソノさん(84)が亡くなった。昨年末まで元気な姿を見せていただけに、関係者に驚きと悲しみが広がった。
博士の孫で、永井隆記念館長の徳三郎さん(42)は30代で館長に就いた際、久松さんに「私たちが支えていきますから」と励まされたのが印象に残っているという。
徳三郎さんは「永井隆と一緒に活動をされ、聖人ではない、ユーモラスな人間としての永井隆を知る貴重な人だった。長い間、永井隆の精神を伝えて下さり、感謝の思いでいっぱい。もっと学ばせていただきたかった」と悼んだ。
永井博士の功績を伝える「長崎如己の会」によると、久松さんは昨年12月28日、長崎市上野町の永井隆記念館を訪れ、「来年も頑張ろうね」と会員らに呼びかけたばかりだった。会員の徳永伊都子さんは「とても元気だったので、信じられない。こまやかな心遣いを忘れず、永井博士の『如己愛人』を誰よりも実践していた」と話した。
同館職員の永井美佐子さんは「非常に気丈な人だったが、周りの人への感謝の気持ちを絶やさない人でもあった」。
久松さんは24年、旧三重町(現・長崎市)生まれ。41年に看護婦になった。3年後に長崎医科大(現・長崎大)付属病院の看護長となり、永井博士の部署に配属された。45年8月9日、同病院で被爆。博士と共に訪問看護活動に当たった。51年には博士の最期をみとった。
長崎市の田上富久市長は「永井博士の遺志を引き継いで、平和や人を愛する気持ちを人々に伝えてくれた。久松さんの思いを、私たちが引き継いでいきたい」と話した。
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