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Tohazugatali Medical Review

592千葉9区:2008/12/27(土) 13:37:57
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081227-OYT1T00039.htm
ハンセン病「重監房」復元へ…冬は氷点下20度、22人死亡


 群馬県草津町の国立ハンセン病療養所・栗生楽泉園で戦前、刑務所代わりに患者を収監し、現在は土台だけが残る「重監房」が復元される見通しとなった。

 国の来年度予算案に復元に向けた調査費500万円が盛り込まれた。重監房では過酷な環境下で多くの患者が死亡したといい、元患者たちは「人権被害の歴史を象徴する施設。実現に向けた大きな一歩だ」と喜んでいる。

 厚生労働省や元患者などによると、重監房は1938年、全国の療養所の中で唯一、国が同園に建設。全国各地の療養所から触法患者や規則違反の患者が送られ、正式な裁判も行われないまま、懲罰的に収監された。各療養所で「草津送りにするぞ」と、患者への脅し文句に使われたという。

 47年に建物は解体され、残された記録は少ないが、元患者などが実態調査を続けている。鍵のかかる4畳半の個室8室があり、冬にはマイナス20度近くまで冷え込むが、暖房はなかった。1日2回の食事は麦飯と具のないみそ汁程度で、解体までに92人を収容、22人が死亡したとされる。

 10年ほど前に復元の要望活動が始まり、2004年には約10万人分の署名を厚労省に提出。同省疾病対策課は「現地は地盤に問題があるため、園内の別の場所での復元を想定している。どう活用するかなどを詰めていきたい」と話している。



 ◆食事運んだ生き証人「負の財産として生かして」◆

 復元の見通しが立ったことについて、栗生楽泉園の数少ない生き証人の1人で、22歳のころ、重監房に食事を運んだことがあるという鈴木幸次さん(85)は「同じ過ちを繰り返さないよう、早く復元し、負の財産として生かしてほしい」と話した。

 鈴木さんによると、重監房は患者の寮から少し離れた森の中にあり、コンクリートの壁で囲われていた。

 「入っただけで威圧感があり、来てはいけない所に来た気がした」という。

 配食しようとすると、個室の下部にある食器の出し入れ口から、骨と皮ばかりの手が伸びてきた。当時は6人が収監されていたが、翌日、食事が5人分しかなかった。廊下に手を出した人は消えていた。

 鈴木さんは「死んだんだね。人に対する扱いじゃない」と当時を思い出したように怒りをにじませた。

(2008年12月27日03時06分 読売新聞)


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