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Tohazugatali Medical Review

540名無しさん:2008/11/08(土) 11:22:01
>救急医療


【ニュースで、よく話題になる「救急医療」の『昔』について】

救命救急センター(学内での通称:「センター」、「救急」、「CCM」など)設置第一号は阪大。
第二号が日本医大。救急医学教室という講座の設置は日本医大が第一号。

1980年代〜1990年代にかけて、民放で毎週のように
『救命救急センター〜〜愛と感動の物語〜〜』などなどの番組が盛んにガンガン放送されていたことを今でも覚えて
いる方も多いかもしれません。

救急を過度によいしょ する民放のそんな番組の為に・・・・却って・・・学内で・・・他の医局(教室)から・・・ねたまれて悪口を言われたりしてしまう、という無意味な・・・心労も。。。

【救急の悩み】救命救急センター発足当初から入局者が極めて少ない(驚くほど少ない)

①昼夜逆転してしまう激務。(センターが一番忙しい時間は、ほとんど午後11時〜午前4時)
センターに、ほぼ連日泊まり、午前4時にやっと寝れるかな、と思いきや午前5時に起こされて、
ふと気が付けば、午前8時。

多くの医師が医局の奥のベッドで眠るものの一晩普通に寝ることが出来る日は「全くない」という現実(特に患者が多い「巨大な」センターの場合)。

②卒業後、いきなり救急に入局すると、例えば、普通の一般腹部外科等の基本的な術式の習得が遅れてしまう。
だから救急に入局する卒業生が少ない(当時@昭和時代)

「卒業後、救急以外の各診療科のどれかに入局したほうが、将来、専門医として活躍できるのではないだろうか」という当時の医学生たちの考え。
⇒救急志望者の少なさ

某大の当時の救急の助教授(今で言う准教授)は、なんとかして救急志望者を増やそうと講義(普通の講義や臨床講義)の後に
医学生たちを繁華街に頻繁に連れて行って、「飲み会」(助教授全額負担)を実施して「救急に入局してよ」とか勧誘したものの
それでも卒後、救急に入局する医学生は、なかなか増えませんでした。

③もともと蘇生学は麻酔科なので、麻酔科の仕事を救急が奪うカタチになり「麻酔科VS歴史の浅い(当時)の救命救急センター」(対立)
という問題も(当時)

④難しいcase(症例)のときは、学内(院内)から脳外、心外、心内、腹外、整形、形成、神内(神経内科)などの専門医を呼ぶ必要があり、
それだけの人材・専門医を招集可能な「巨大病院」でないと救急が機能しない、という問題。

でも、当時、都内の某大の救急が医師を派遣していた東北地方(確か山形県?か福島県?)の「中規模な病院」の救急(ほぼ全員その都内の大学からの出向)が
救急としての勤めを果たしていたこともあるのですが、「あれは、どうやって立派に機能していたのだろうか?」と、今(2008年)でも不思議に思ったり
しながら回想することもあります。

余り余計なことを書くと・・・ロムラーの医師たちから・・・怒られて・・・しまいますから・・・・・この辺りで。


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