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Tohazugatali Medical Review

5223とはずがたり:2019/10/27(日) 21:37:49
史上最年少の大学教授が狙う「多臓器一括再生」
26歳で「ミニ肝臓」の開発に成功
PRESIDENT 2019年11月1日号
https://president.jp/articles/-/30269
田原 総一朗 ジャーナリスト / 武部 貴則 東京医科歯科大学教授

世界でも日本は再生医療研究が盛んだが、山中伸弥教授をはじめ研究者の層が厚く、若手の出番は少ない。そんな中で強烈な存在感を放つのが武部貴則教授だ。26歳で「ミニ肝臓」の開発に成功。論文は「Nature」に掲載されて世界中の注目を集めた。また、31歳の若さで大学教授に就任。年功序列が根強い日本では異例のスピードだ。若き天才が目指す医療とは何か。再生医療の取材経験も豊富な田原総一朗が鋭く迫った――。

研究者への道を決めた臓器移植の現実



【田原】大学は横浜市立大学の医学部。 … 学生のころから、臨床より基礎研究?

肝臓移植ができる外科医を目指して
【武部】いえ、そんなことはないです。私はもともと肝臓移植をやりたくて医学部に入りました。…ずっと肝臓に興味があって、肝臓移植ができる外科医を目指していました。実際、5年生のときには、米国の医師免許をとって、移植の勉強をするためにニューヨークに留学。…

武部貴則●1986年、神奈川県生まれ。横浜市立大学医学部卒。2018年横浜市立大学教授、東京医科歯科大学教授に31歳で就任。26歳のときに、世界ではじめてiPS細胞から肝臓組織を作り出すことに成功し、その論文が英科学誌「Nature」に掲載された。

【田原】普通は学部を卒業後、臨床の研修を2年やって医者になる。でも、武部さんは臨床の研修もやらなかったそうですね。

【武部】そのまま大学の研究室に助手として採用してもらいました。まわりからは反対されましたね。… でも私としては早く研究に集中したかった。

【田原】山中さんがiPS細胞を発表したのが2007年。武部さんは11年卒業だから、基礎研究もiPS細胞ですか?

【武部】研究は学部のころからやっていましたが、最初は別の細胞でした。ただ、一細胞の再生はできても組織や臓器の再生は難しく…卒業を機に研究をiPS細胞中心に切り替えました。

文部科学省からいくつか予算を獲得
… 卒業して、テーマはもともとやりたかった肝臓を扱えるようになりましたが、自分だけの研究をしようと思ったらお金が必要です。幸い、私は文部科学省からいくつか予算を獲得することができて、自分のチームを持つことができました。

【田原】いくらくらい?

【武部】約1500万円です。1つの研究費でその額は難しいので、同時に5個の申請をして、そのうち4つが認められて、トータルでその額に。これだけあれば人を1人雇うこともできます。審査をする方々が若手を応援してやろうと考えてくださったのかもしれませんが、非常にラッキーでした。

【田原】13年には英科学誌「Nature」に論文を発表します。どんな論文でしたか?

【武部】それまで肝臓再生というと、幹細胞から肝臓を構成する肝細胞を分化させて再生するというアプローチがほとんどでした。それに対して私たちがやったのは、iPS細胞から初期的な肝臓を作ること。赤ちゃんが胎児としてお腹の中にいるときの臓器を作ったのです。これは非常に反響が大きかった。…そのタイミングで准教授にも昇格させてもらいました。

【田原】その技術を使えば、臓器の再生ができる?

【武部】誤解を招きたくないのではっきりと言いますが、臓器の再生というレベルではありません。できるのは、一部の機能再生。もう少し具体的に言うと、私たちが作ったミニ肝臓は数カ月から半年という比較的短い間だけ肝臓としての機能を果たしてくれます。それでも移植手術を待つ患者さんなどには大きな意味があります。

【田原】翌年にスタンフォード大学にいく。研究者として軌道に乗ってきたのに、どうして?

【武部】大学の先輩で東大にいた中内啓光先生に誘われました。…


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