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Tohazugatali Medical Review
4974
:
パリ行最終便
:2017/11/21(火) 14:53:35
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171121-00010000-jij-life
石原裕次郎の受け持ち医に=研修医時代の向井千秋氏
11/21(火) 11:04配信
大スターにも身構えず
医師になって4年目を迎え、向井千秋氏は心臓外科のレジデント(研修医)としてめまぐるしい日々を送っていた。1981年4月の日曜日の朝。その日は久しぶりのオフで妹と映画に行くことになっていたが、患者が救急搬送されたとの連絡を受け病院に向かった。
「急に呼び出されることはしょっちゅうあるから、約束は妹ぐらいしかしなかった。妹なら急に病院に行かなきゃいけないと言えば、分かってくれる」と話す。
腰痛を訴えて整形外科を受診した患者が、心臓外科に移ってきた。痛みの原因が解離性大動脈瘤(りゅう)らしいという。カルテを見ると、氏名は石原裕次郎とある。「私、あれは芸名だと思ってたから『この人、石原裕次郎さんと同じ名前じゃない』って言ったら、看護師が『本人です』って」
主治医は教授で、向井氏は受け持ち医として病棟に泊まり込んだ。しかし患者が国民的大スターだからといって特に身構えることもなかった。「患者さんって、総理大臣でも隣のおじさんでも幼稚園児でも、誰でも自分の家族だと思って診ればいいっていう考えだった」。いつも通りに接していたという。
向井氏は病状の説明を求められ、病室にいた男性に話をした後で、看護師に「今の人、どっかで会ったことがある」と言った。看護師は「あれは先生、渡哲也っていうんですよ」と答えたという。当時はテレビを見る時間もなかったと振り返る。
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石原裕次郎の受け持ち医に=研修医時代の向井千秋氏
カンフー姉ちゃん
向井氏の誠実な応対ぶりに、石原事務所のスタッフたちからは「カンフー姉ちゃん」と呼ばれ、親しまれた。白いズボンと上着が中国拳法カンフーの胴着に似ていたからのようだ。月曜日に1週間分の下着を持って病院に行き、院内では私服は着なかった。米国のメディカルドラマ「ベン・ケーシー」の登場人物をまねて、下着の上に白衣を着ていたという。
石原氏が麻酔から覚め、気管から装着されたチューブが抜かれると「ああ、先生、大海原をさまよっている感じがしてましたよ」と話した。手術後の第一声に、向井氏は「ヨットマンらしくて、なんかロマンチックな人だなあと思った」と印象を語る。
難しいといわれた解離性大動脈瘤の手術は成功し、奇跡の復活と話題になった。連日の報道で、病院の屋上からガウン姿で手を振っていた姿を思い出す人も多いだろう。
「男の軍団ね、石原軍団の人たちは、すごく気持ちのいい人たちだったですね。私はもともと体育会系だから。あれ、体育会の気質なのね」
病院周辺には大勢のファンやマスコミが押しかけ、大スターの回復を見守った。騒然とした周囲の様子にひるむ間もなく、向井氏の日常は慌ただしく過ぎて行った。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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