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Tohazugatali Medical Review

1とはずがたり:2004/10/17(日) 14:58
医学・病院・地域医療など今までTER http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1046080617/l10で扱ってた話題を独立させます。

医薬品・製薬関連はこちら http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1070807006/l10

自民党と結託し日本の成長に対する桎梏となってる医師会・歯科医師会の不祥事はこちら http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1067007932/l10

TERの過去レスは>>2-5あたり

4480とはずがたり:2015/10/07(水) 09:52:17
>家が山梨の農家で後を継ぐつもりであったため、大学に進学するつもりがなく、中学、高校時代はスポーツに打ち込んだ。県立韮崎高校時代にはスキーのクロスカントリーで国体に出場するほどの腕前だった。大学は地元の山梨大に進び、外国留学も30代半ばになってから実現している。
>高校3年の春、父親から大学に進学してもよいと言われ、そのときに初めて地元の国立大である山梨大の存在を知ったほど。代々の農家であった父親は子どもに英語の重要性を説いていたというが、大村家が知的な環境に恵まれていたわけではない。

俺の親よりも5才程上になる訳だが,この辺の雰囲気はなんだか解るね。

ノーベル賞博士は日帰り温泉オーナーだった
大村智博士が持つ4つの顔
http://toyokeizai.net/articles/-/87149
長谷川 隆 :週刊東洋経済編集部 編集委員 2015年10月06日

スウェーデンのカロリンスカ研究所は5日、2015年のノーベル医学生理学賞を大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(80)と、米ドリュー大のウィリアム・キャンベル博士、中国中医科学院の女性医学者の屠??(と・ゆうゆう)首席研究員の3氏に授与すると発表した。

受賞理由は、大村氏とキャンベル氏が「寄生虫によって引き起こされる感染症の治療の開発」、屠氏が「マラリアの新規治療法に関する発見」。3氏の感染症治療への功績についてノーベル財団は、「人類への計り知れない貢献」とコメントをしている。

日本人のノーベル賞受賞者は、米国籍の2人の研究者を含め、大村氏で23人目(医学生理学賞3、物理学賞10、化学賞7、文学賞2、平和賞1)となる。

研究者としても経営者としても一流

化学界では高名な大村氏だが、一般にはよく知られていない。これまでもノーベル賞の候補になっていたが、医学生理学賞では本庶佑・元京大教授や、森和俊・京大教授などがより有力だとする見方のほうが強かった。大方の予想を覆しての受賞となった大村氏とはどんな人物なのだろうか。

大村氏の人物評伝である『大村智?--2億人を病魔から守った科学者』(中央公論新社、2012年)の著者である読売新聞・元論説委員の馬場錬成氏は、あるエピソードを紹介する。それは今年7月、国際的に権威あるガートナー賞や日本の朝日賞を受賞した大村氏を祝うパーティーで、北里研究所関係者がスピーチで紹介した大村氏の4つの「顔」である。

まず1つ目は、研究者としての顔だ。山梨大学を卒業後、都立夜間高校の教師から研究者に転じ、数々の抗生物質を発見して重篤な熱帯病を撲滅寸前まで追いやった。国際的な産学連携を主導し、約250億円の特許ロイヤリティを研究現場に還流させた実績を持つ。日本ではしばらくこの記録は破られないだろう。?

第2は、法人経営者としての顔だ。財政的に行き詰まっていた北里研究所を立て直し、新しい病院を建設した。独学で蓄積した財務知識は、プロも認める経営感覚で辣腕をふるった。

第3は、各界リーダーとしての顔だ。美術への造詣が深く絵画のコレクターとしても知られ、請われて女子美術大学の理事長を通算14年間務めた。公益社団法人山梨科学アカデミーを創設し、出身地の人々に向けて科学啓発に熱心だ。

そして第4は人材育成の顔だ。大村門下から輩出した教授は31人、学位取得者は120人余りという数字は、教育者としての功績を物語る。公平で誰にもチャンスを与え、意欲を見せれば支援を惜しまない。

馬場氏はこの4つの顔は、まさに大村氏の業績を簡潔に示したものと説明する。長時間にわたり大村氏本人のインタビューを実施した馬場氏は、「1970年代、日本で産学の連携がまだ珍しかった頃、海外企業と契約を結び、めざましい実績を上げ、多くの人々を病気から解放した。それが今回のノーベル賞につながった。研究者として超一流、法人経営者、教育者としても超一流なのが大村博士のすごいところ」と評する。

4481とはずがたり:2015/10/07(水) 09:52:42
>>4480-4481

人類を病魔から救う

大村 智(おおむら さとし)/1935年山梨県韮崎市生まれ。県立韮崎高校、山梨大学学芸学部自然科学科卒。いったん都立高校の教員になるも退職し、1963年東京理科大学大学院理学研究科修士課程を修了し山梨大助手に。1965年北里研究所に入所。米留学を経て、1975年北里大学薬学部教授。1990年北里研究所長、2007年北里大名誉教授。文化功労者
今回のノーベル賞の受賞対象となったのは、アフリカなどの熱帯地方に蔓延していた河川盲目症(オンコセルカ症)の特効薬イベルメクチンの発見・開発だ。静岡県の川奈ゴルフ場近くの土壌から採取した微生物が産生する化学物質をメルク社と共同研究し、メルク社は動物の寄生虫を劇的に退治する抗生物質を開発した。オンコセルカ症は、ブユが媒体となって線虫の幼虫、フィラリアに感染し、ヒトに盲目を引き起こす。

だが、少量のイベルメクチンを1回投与するだけでフィラリアの幼虫を駆除できるため、世界保健機構(WHO)がメルク社から無償提供を受けて年間3億人(単行本の副題である2億人より現在は3億人が実数に近い)の人々に投与している。WHOは2020年にはこの病気は撲滅すると予測している。人々を苦しめていたこの病気で人類が苦しむことは、じきになくなくなるのだ。

大村氏がこれまでの日本人ノーベル賞受賞者の多くと違うのは、いわゆる知的エリート階級からは縁遠いこと。地方の国立大出身というのも異色だ。

家が山梨の農家で後を継ぐつもりであったため、大学に進学するつもりがなく、中学、高校時代はスポーツに打ち込んだ。県立韮崎高校時代にはスキーのクロスカントリーで国体に出場するほどの腕前だった。大学は地元の山梨大に進び、外国留学も30代半ばになってから実現している。

高校3年の春、父親から大学に進学してもよいと言われ、そのときに初めて地元の国立大である山梨大の存在を知ったほど。代々の農家であった父親は子どもに英語の重要性を説いていたというが、大村家が知的な環境に恵まれていたわけではない。

大村氏が北里研究所に採用されたときの肩書きは、「技術補」。実験の助手やデータ集めだけでなく、北里の研究所員は北里大学の講義も担当するため、上司の研究員が授業をする際の黒板の板書消しも仕事の一部であった。だが、実験と論文で実績を示した大村氏は数年で助教授に昇進し、その後に米国留学を果たす。それが大きな転機となった。

1971年、36歳のとき、米国ウエスレーヤン大でマックス・ティシュラー教授の下に留学。教授は米・化学学界の有力者で、世界的企業メルク社の元研究所長だったことから、メルク社を紹介され、それが縁で大村氏も世界レベルでの産学ネットワークと接点を持つことになる。これがイベルメクチンの開発にもつながることになった。

ふるさとに温泉施設

大村氏のユニークな点でほかのメディアであまり報道されていないことがある。美術愛好家であり収集家である大村氏は、ふるさとに私費で韮崎大村美術館を建設し、収蔵品をすべて韮崎市に寄贈している。このことは地元でもよく知られているが、それだけでなく、美術館の横に建つ日帰り温泉施設のオーナーでもあるのだ。

その温泉施設「武田乃郷 白山温泉」は、「この辺は必ず掘れば温泉が出る。温泉があれば地域の人も観光客も来てくれる」との大村氏の狙いによって建設された。研究者として功成り名を遂げていた10年前、こんな着想をするところが実に面白い。

今年8月に記者が大村氏にお目にかかったときに尋ねたところ、「それほど儲かっているわけではないが、お客さんはそれなりに来て下さっているので、資金は回転している」とのことだ。「掛け流しで、露天風呂からは八ヶ岳、茅ヶ岳が眺望できる。何より、お湯自体がすばらしい」とはご本人のアピールの弁。これから甲州路は紅葉がすばらしい。美術館と温泉をセットにして大村氏を育んだ土地を訪ねるのも一興かもしれない。

(撮影:尾形文繁)


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