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Tohazugatali Medical Review

4451荷主研究者:2015/09/13(日) 11:57:35

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150824_15005.html
2015年08月24日月曜日 河北新報
<飛躍する東北大病院>医局の垣根取り払う

被災地の診療所に派遣された三島医師(左)

◎101年目の挑戦(下)大改革

 「全ての患者を受け入れる。専門性は捨てろ。全員が総合医だ」

 東日本大震災の起きた2011年3月11日、揺れの影響でもうもうとほこりが舞う院内に、里見進東北大病院長(67)=現東北大総長=の指示が飛んだ。

 耳鼻科医が肺炎患者を診察し、外科医が透析患者に対応する。異例の診療態勢は4月中旬まで続いた。

<研究機会を保障>
 それから間を置かずに東北大病院で、二つの改革が始まった。一つは組織的被災地医療。もう一つは脱医局至上主義。

 津波で市街地が失われた宮城県南三陸町の診療所には現在、若手の三島英換(えいかん)医師(33)=内科=が着任している。患者の多くは高齢者。仮設住宅の入居者には高血圧や糖尿病の症状が目立つ。

 三島医師の派遣は6月から4カ月間の予定。その後、東北大病院に戻ると8カ月間の期限付きで助教ポストが用意される。三島医師は「施設と時間が与えられ、慢性腎臓病の研究に打ち込める」と語る。

 へき地の診療所に長く留め置かれることは、若手医師にとって最新医療に乗り遅れることを意味する。これが医師偏在や医療過疎の要因になっていた。

 東北大病院は、新たな医師派遣方式を南三陸町の診療所のほか宮城県内五つの医療機関に導入した。

 同時に医局(診療科)の権限だった医師派遣の実務を新設の「東北大東北メディカル・メガバンク機構」に移した。

 一般にわが国の大学病院は、強大な権限を握る教授を頂点に各医局がそれぞれピラミッド型の階級を形作っている。医局間の人事交流はめったにない。

 東北大病院の場合、1999年の改組で名称を変更した「第1外科」と「第2外科」は、100年前の病院創設当初は「杉村外科」「関口外科」と教授の名を冠して呼ばれ、手術の器具や技法も違っていた。

 医師派遣をめぐる医局からの権限移譲。八重樫伸生東北大病院長(55)は「100年間できなかった大改革」と言う。

<全体で情報共有>
 一方で次なる大災害への準備も進む。

 震災直後の被災地では避難所の患者数や必要な医薬品を把握できない事態に陥った。これを教訓にことし1月、東北大病院は災害医療マネジメントセンターを設置。通信端末を活用したシステムの開発を進めている。

 震災当時を振り返って里見氏は「病院全体が情報を共有して一体化できた。今日、病院が少しでも良くなったと言えるとしたら、あの経験があったからだろう」と語る。


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