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Tohazugatali Medical Review

4449荷主研究者:2015/09/13(日) 11:55:42

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201508/20150822_13012.html
2015年08月22日土曜日 河北新報
<飛躍する東北大病院>進取の伝統 今も健在

膵島の培養バックを掲げる後藤教授。新技術で糖尿病の完治を目指す

◎101年目の挑戦(上)最先端

 東北の医療界をけん引してきた東北大病院(仙台市青葉区)がこの夏、設立100周年を迎えた。国内屈指の医術の殿堂はいま、100年の蓄積を引っ提げて世界レベルの競争に身を投じ、同時に新たな地域医療を打ち立てようとしている。さらなる飛躍を目指す東北大病院101年目の挑戦を追う。(報道部・野内貴史)

<分離効率60%に>
 東京・池袋で16日夜に起きた自動車暴走死傷事故。ハンドルを握っていた男には、てんかん発作の疑いが浮上している。

 飛び込んできたニュースに後藤昌史教授(46)=移植・再建・内視鏡外科=の表情が曇った。日々治療で接する1型糖尿病の患者たちも発作を繰り返す。暴走事故は人ごとではなかった。

 血糖値を下げるホルモン「インスリン」が膵臓(すいぞう)で分泌されず、発作に襲われる1型糖尿病。根治には膵臓移植しか手がないと考えられてきた。

 後藤教授は膵臓の中でインスリンを生み出す細胞の塊「膵島(すいとう)」に着目した。脳死した臓器提供者(ドナー)から膵臓を取り出して膵島のみを分離。点滴で患者の肝臓に移植すると、膵臓に代わって肝臓がインスリンを分泌し、血糖値を調整する。

 開腹手術の必要がなく、膵臓そのものの移植に比べてリスクが低い。繰り返しの移植も可能だ。

 ただ膵島移植が普及するには、約30%と低い膵島の分離効率がネックだった。後藤教授は農学部の研究者らと6年越しの研究で特殊酵素を開発。膵島分離率を約60%まで高めた。

 2014年、後藤教授は国内3例目の脳死膵島移植に成功する。人工多能性幹細胞(iPS細胞)の技術と開発した酵素を掛け合わせれば将来、培養膵臓からの膵島分離が期待できる。

 1999年の膵臓移植施設認定、06年の膵腎同時移植、以来8例の膵臓移植を手掛けた。後藤教授は「実績をさらに積み重ね、多くの患者が膵島移植できるようにしたい」と話す。

<数学手法を応用>
 東北大病院に息づく進取の伝統。その一端を産婦人科に見ることができる。

 1983年、当時教授で現在は岩沼市で開業する鈴木雅洲(まさくに)氏(94)による国内初の体外受精の成功が、不妊治療の概念を覆した。近年では木村芳孝教授(60)が開発中の胎児心電図が、周産期医療の常識を破る。

 胎児の心臓が発する信号は非常に小さく、周囲のノイズに埋もれてしまう。妊婦の腹部に電極を当てて胎児の心電図を測定することは、壁の外から部屋の中にいる人の心音を読み取るに等しい。この100年間、世界中の研究者をことごとく退けてきた難題だ。

 木村教授は情報科学分野で「独立成分分析法」と呼ばれる数学的手法を応用し、ついに難題を解いた。胎児心電図が普及すれば、胎児の心疾患や脳障害を早期に発見できる。

 東北大大学院理学研究科で数学を学び、医学部に入り直した木村教授は、数学者の顔を併せ持つ。「数学を生命科学に応用したい」。抱いた夢がいま、実現しようとしている。

[東北大病院]1915年7月15日、東北帝国大学医科大学付属病院として開院。前身は1817年創設の仙台藩医学校施薬所(その後、仙台公立病院、県立宮城病院などと改称)。医科診療部門44科、歯科診療部門12科1室で、国立大病院最大級の1225床を備える。


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