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Tohazugatali Medical Review
4254
:
とはずがたり
:2014/12/31(水) 18:22:24
病院通りの老舗「古波倉医院」閉院 地域の命守り58年間
http://news.goo.ne.jp/article/ryukyu/region/ryukyu-30537496.html
琉球新報2014年12月31日(水)09:50
那覇市久茂地の通称「病院通り」で看板を守っていた「古波倉医院」(内科)が12月26日、閉院した。開業は1956年。58年に父から院長職を受け継いだ古波倉正照さん(94)は、この日で医師を引退した。最後の患者の診察を終えた古波倉さんは「これでやっと(仕事が)済んだなというのと、少しの寂しさがある」と語り、古波倉医院での56年間を振り返った。
古波倉さんは那覇市首里出身。戦時中、シンガポールなど南方戦線に軍医として従軍した。47年に復員後、本土の大学や病院で過ごした。なかなか帰郷できず、宮崎県で父と共に開業。だが故郷の復興を聞いた父は56年に帰沖し「古波倉医院」を開業した。2年後には古波倉さんも戻り、院長職を継いだ。
同院で積み重ねた思い出は語り切れないほどだが、印象的だったのは血友病とよく似た症状だが原因は違う「α2—PI欠損症」患者を世界で初めて発見したことだった。「文献を読み、検査を繰り返して見つけた」と淡々と語る。当時、発見を報じた1980年7月8日付の本紙記事にも「運が良かったんです」と語っている。一方で長年勤務する職員は、さまざまな疾患に対し熱心に研究を重ねる古波倉さんの姿を覚えており「すばらしい先生だよ」とたたえる。
「患者の話を十分に聴き、症状の裏にある家庭の状態にも気を配って診療する」ことを信条に、診察を続けてきた。親子4代続けて来院する家庭もあった。閉院理由を「年齢ですよ。もう94歳だから」と、しっかりした口調で話す。「患者さんの中には『元気なんだから、100歳まで頑張れるよ』という声もあった。ありがたい言葉ですよ」と語る。最後の診療日、涙を流して閉院を惜しむ患者もいたという。
この日で聴診器を置き、白衣を脱いだ。今後のことについて質問すると「本を読んだり、散歩したり、好きな酒を飲んだりして悠々自適に過ごしたい」と笑顔で話した。院内には長年の労をねぎらう贈り物の花がいくつも置かれていた。(大嶺雅俊)
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