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Tohazugatali Medical Review

4132とはずがたり:2014/08/24(日) 17:42:36

3年間で廃止「山梨医専」…在籍者が見た終戦
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20140816-OYT8T50041.html?from=yartcl_popin
2014年08月16日 12時04分

戦後の一時期、山梨医専の校舎として使われていた国の登録有形文化財「山梨大学赤レンガ館」(甲府市北新で)

 太平洋戦争の本土空襲が本格化した1944年、甲府市に県内初の医師養成機関として山梨県立医学専門学校(山梨医専)が開校してから今年で70年。軍医や国内の医師不足を背景に設置されたが、終戦間もない47年にわずか3年間で廃止され、その実像はあまり知られていない。

 山梨医専に在籍し、後に俳優となった甲州市出身の土屋嘉男さん(87)に当時の様子を語ってもらった。

 ◆「徴兵なし」で受験

 44年、僕は日川中学5年生で、学徒動員先の愛知県の飛行機工場で働いていました。

 旧制中学は5年制。バイオリンを弾いていたこともあり、卒業後は東京音楽学校(現在の東京芸術大音楽学部)にと考えていましたが、戦況悪化で学生の募集がなかったのです。

◇  ◇  ◇
 ≪山梨医専は44年4月、当時は生徒募集を中止していた甲府商業学校(甲府市青沼)の敷地内に開校。山梨県立中央病院史によると、同年の第1期生入試には120人の定員に3420人が応募。倍率28・5倍の狭き門となった≫

◇  ◇  ◇
 当時、医学生だけは徴兵されなかったので、実家から「山梨医専を受けなさい」と言われました。戦場に行かせたくない親心でしょう。45年の試験を受けると運良く合格できました。

 ◆甲府空襲…焼けた校舎 片付けばかり

 入学式の前夜の45年7月6日、甲府空襲がありました。翌日、塩山から汽車に乗って医専を目指したが、石和から先に進めず、歩いて向かいました。

 甲府に入ると家が1軒も残っていない焼け野原。ものすごい数の死体も見ました。入学後は焼けた校舎の片付けばかりで、授業どころではなく、入学から約1か月、ほとんど勉強せずに終戦を迎えました。


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