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Tohazugatali Medical Review
3692
:
名無しさん
:2014/05/18(日) 20:19:16
>>3452
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki3/539804.html
故渡辺淳一さんのエッセーで「ベテラン婦長」 悼む元同僚「早すぎる」 釧路・武石さん(05/17 16:00)
【釧路】4月末に亡くなった作家渡辺淳一さんは医師として旧雄別炭鉱病院(釧路市阿寒町)に勤務した体験をつづったエッセーを執筆していた。作品の中で「ベテラン婦長」などとして登場した元看護師は突然の訃報に「まだ早すぎる。ずっと応援していたかった」と悼んでいる。
元看護師は釧路市在住の武石清子さん(85)。渡辺さんのエッセーなど3作品に登場する。
渡辺さんが雄別炭鉱病院に出張医として赴任したのは1959年。まだ26歳で札幌医大の医局に入ったばかり。整形外科医として骨折などけがをした鉱員らの診療に当たった。看護婦長だった武石さんは渡辺さんを「両手を白衣のポケットに入れ、風を切って歩く姿が風格があった」と振り返る。
2人で当直勤務に就く機会も度々あった。ある日、妊娠中の女性が子宮破裂で一刻を争う状態で運ばれてきた。産婦人科医は出張中で不在。当時、釧路市中心部の病院までは片道1時間半かかった。搬送時間を考え、武石さんが雄別での手術を進言。渡辺さんは武石さんの助言で専門外の手術に当たり、患者は奇跡的に一命を取り留めた。
渡辺さんは2000年の著書「マイセンチメンタルジャーニイ」で、「わたしがなんとか一人前の医師になれたのは彼女のおかげである」と記したほか、講演会や北海道新聞の「私のなかの歴史」でも言及するなど印象深い手術だった。武石さんをモデルとした看護婦長は短編小説「母胎流転」、自伝的小説「白夜」でも登場している。
渡辺さんは3回、計半年ほど雄別炭鉱病院に派遣された。当時、既に作家活動も行っており、病院の医局員室の布団に寝そべって原稿用紙に向かう姿も見られた。武石さんは「何の作品だったかは分からないが、熱心で楽しそうに書いていた」と語る。
渡辺さんが文筆業に専念し、拠点を東京に移した後も年賀状などのやりとりを続けた。72年にシシャモを送った際にはお礼のはがきが届き、武石さんにとっては今でも宝物だ。
武石さんは10年ほど前に釧路市内で行われた講演会で渡辺さんと約40年ぶりに再会。釧路空港まで見送り、「お元気で」と声を掛けたのが最後となった。(斉藤直史)
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