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Tohazugatali Medical Review

287小説吉田学校読者:2006/09/01(金) 14:26:30
この毎日の検証記事、第1回、第2回は「??」だったのですが、第3回は圧巻。
郡司氏は首尾一貫している主張ではありますが、松田氏のコメントといい、最後の一節の事態といい、「喉元過ぎれば」の典型であり恥ずかしくないのかね? こういう厚生省医官派や製薬会社の体質は、スモンの時代から戦後一貫して改まらない。たぶん、共産党政権になっても改まらないでしょう。

薬害のない未来を:安部元副学長逮捕10年/3 和解時の誓い
http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060901ddm041040032000c.html

 ◇官僚、学会、企業…反省の言葉は消えた
 「薬害という言葉は公害を連想させる。(薬にはある効用が)公害にはなく、誤解を生む」
 昨年12月2日、熊本市の熊本市民会館。日本エイズ学会のシンポジウムで、グレーのスーツ姿のパネリストが「薬害」を否定すると、医師ら参加者の多くがうなずいた。
 声の主は聖学院大総合研究所の郡司篤晃教授。郡司氏は82〜84年、旧厚生省で生物製剤課長を務めた。危機感を抱き安部英(たけし)・元帝京大副学長を委員長とする「エイズ研究班」を招集したが、有効な対策を打てず被害が拡大した。郡司氏は「薬は当時のベストの治療。後で社会的制裁を加えては、安全性の結論は出ない」と続けた。
 壇上には元東京HIV訴訟原告で松本大学非常勤講師、川田龍平さん(30)の姿もあった。川田さんは「(旧)厚生省や企業、医師が『責任はない』と繰り返していることが、被害者としては苦しい」と訴えたが、会場の反応は鈍かった。
   ■   ■
 約1500人が感染し、既に600人以上が他界した戦後最悪の薬害。にもかかわらず、反省を口にする当事者は少ない。
 郡司氏の部下だった増田和茂・元同課長補佐(現健康・体力づくり事業財団常務理事)は「しゃべることはない。僕の中から消えた」。元副学長の部下だった帝京大の松田重三教授も「今さら思い出したり、反省することはない」と言う。
 東京HIV訴訟弁護団、徳田靖之弁護士=大分県弁護士会=には、エイズ学会の姿が日本ハンセン病学会とダブる。
 95年4月、日本らい学会(当時)が明らかにした見解は、隔離政策に「厳しい反省」を表明したものの「隔離を最善と信じ、生涯を懸けた人の思いまでを踏みにじる権利がない」と責任の所在の明確化を避け、先輩研究者たちを守った。
 ハンセン病訴訟も手掛けた徳田弁護士は「学会が自ら被害実態を解明したことなど一度もない。常に被害者が真相を明らかにしてきた。エイズ学会には、時代考証が欠如している」と批判する。
   ■   ■
 製薬企業はどうか。
 三菱ウェルファーマ(旧ミドリ十字)は今春、検察から刑事事件資料の返還を受けて内部調査委員会を設置した。しかし広報担当者は「委員会の開催日は公表しない。非公表の理由も言わない」。HIV訴訟和解時、被害者側に約束した「情報の提供」という言葉がうつろに響く。
 3月に東京で開かれた和解10周年記念集会。被告5社のうち、供花を贈るなどして弔意を表したのはバクスター(旧トラベノール)だけだったという。被害者支援組織「はばたき福祉事業団」の大平勝美理事長(57)は語る。
 「10年間活動して、これが一番信じられない。犠牲者に祈らず、被害者から直接声を聞かない『再発防止』などあり得ないのではないか」=つづく


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