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Tohazugatali Medical Review
257
:
小説吉田学校読者
:2006/06/03(土) 21:55:43
職業柄、千葉駅であしなが育英会の方が募金活動していると素通りせずに少ない小銭ながらも募金していることにしております。
ですが、今度からあしながおじさんになろう。
かつて「患者よガンと戦うな」という本がありましたが、ガンにかかったら戦わざるを得ないのであります。笑みを称えるか歯を食いしばるかは別でありますが、戦い方には色々あるのであります。
そして、演説当初は山本氏のことを書きましたので、そのほかの人のことをかきます。
扇議長の議事運営に拍手。論敵でありながら拍手をした与党議員(特に舛添)にも拍手。
がん告白 山本孝史参院議員「救える命いっぱいある」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060603-00000029-san-soci
6日再び対策法成立訴え
大阪市出身でがん医療改革に取り組んできた民主党の山本孝史参院議員(56)が今年1月、がんと診断された。ショックだったが、5月22日の参院本会議で病気を告白。同党が提案しているがん対策基本法案の成立を訴えた。「当事者が動かないと政治は動かない」と語り、抗がん剤治療を受けながら議員活動を続けている。治療体制の向上を目指し、今月6日の参院厚生労働委員会で再び質問に立つ予定だ。
「がん治療には地域間格差、施設間格差があり、治療法があるのに『もう治りません』といって見放された『がん難民』が日本列島をさまよっている。救える命がいっぱいあるのに、次々と失われている」
自らがん患者であることを告白した本会議の代表質問。小泉純一郎首相を含む、議場の議員全員にがん対策の重要性を訴えた。話しているうちに、涙がこぼれ、ハンカチでぬぐった。持ち時間15分の経過を知らせるメモが事務局から扇千景議長に渡されたが、扇議長は遮ることなく最後まで聞き入り、小泉首相はていねいに答弁書を読み上げた。
■ ■
昨年12月末に受けた血液検査で異常が見つかった。医療機関が年末年始の休みに入ったため、ひたすら正式な診断結果を待つ正月だった。そして今年1月に知らされた病名はがんだった。
「大病を告げられたときは、あわてましたよ。でも、来るべきものが来たなという感じだったかな」
政治家にとって病気の告白は政治生命の終わりを意味する。病気と分かれば求心力を失ってしまうため、永田町ではひた隠しにするのが常識。
あえてがんを告白したのは、患者たちの“声にならない声”を直接国会に訴えるためだ。
昨年5月、患者本位のがん医療への改革を話し合う「第1回がん患者大集会」が大阪市で開かれた。2000人の患者が全国から集まった。
「集会をきっかけに、ぐーっと厚生労働省が動いたんです。がん対策推進本部と事務を担う推進室ができた。病と闘いながら訴え続けた先輩たちがいるからです」
このとき当事者でなければ政治は動かせないことを実感した。
■ ■
5歳の時に2つ年上の兄を交通事故で亡くし、ぽっかりと心の中に穴が開いた。
「がんは死と隣り合わせだけれどすぐに死ぬわけではない。荷物を片づけたり、嫁さんに迷惑をかけないように書類の整理をする時間もあるからね」と自分を納得させるように語る。
学生時代は交通遺児の支援活動に没頭。交通遺児育英会の事務局長を経て政界に身を投じた。約12年間の議員生活を通して、年金、臓器移植、薬害エイズ、介護保険などの問題に取り組み国会論戦をリードしてきた。「日本の社会保障制度の良心」(厚労省幹部)と役人からの信頼も厚い。
がんを告白してから、事務所には激励の電話が絶えない。民間療法のパンフレットとともに励ましのメッセージを贈ってくれる人もいる。「引退するなんていってないよ。今も国会にいるよ。先のことは神のみぞ知るだよ」と笑顔で答える。
国会議員としての活動を優先させるため、地元の大阪ではなく、東京の病院で、国会日程をにらみながら治療を続ける。
「がん医療に足りないものは何か。患者とともに考え、国会と患者の懸け橋となりたい」
(産経新聞) - 6月3日16時13分更新
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