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Tohazugatali Medical Review

2277とはずがたり:2014/03/07(金) 07:58:03

東日本大震災と特攻精神

 以前英国から日本を訪ねた友人に、「大石内蔵助はあれだけの部下を死なせたコマンダーなのに何で英雄なのだ」と尋ねられ、返答に困ったことがあります。

 「高邁な」志のために自身の命を捨てる、自爆テロなどの例は世界にも数多くあります。しかし志のために自分だけでなく他人の命をも軽く扱い、それが讃えられる、そのような文化はあまり見受けられません。

 この文化が結晶化したものが、先の第2次世界大戦でした。栄誉と命を等価と偽る世間の風潮が特攻精神をいたずらに煽り、弱者の声を暴力的に封じてしまいました。その結果、多くの「防ぎ得る死」を防げなかった。

 災害の面でも軍事の面でも反省することの多い歴史だと思います。しかし私たちはそこから学ぶことをしたのでしょうか。

 例えば東日本大震災の後、被災地の医療スタッフの大半は、過酷な労働条件に対して何の報酬も得ていません。震災5カ月後に取られたアンケートでは、

「通勤の為のガソリンや食事の支給を考えてほしかった」
「超過勤務の給与体制を明らかにしてほしかった」
「子供がいる人は多めに休暇をもらったが、自分は親の介護をしていたのに・・・」

 などという記載も見られました。これは無記名式のアンケートであったからこそ聞けた意見であったと考えます。

「自分1人で休ませてもらって本当に申しわけなかった」
「もっと辛い人がいるのに、休みたいとは言い出せなかった」

 そのような記載も見受けられるからです。

 病院は、食事を作ってくれる厨房がなければ成り立ちません。掃除や患者さんのシーツ交換も必要です。また、24時間門戸を開けている病院という施設は、防犯・警備がなければ安全が保てません。

 病院機能を保つためのこれらの貴重なスタッフ全員に、善意のみで長期に働くことを要求することは果たして「よき日本人」の姿でしょうか。

 過去に一億玉砕を唱えて兵士たちを使い捨てた日本の文化が今、被災地の病院スタッフを英雄ともてはやしながら使い捨てているのではないか。そのように懸念します。

技術への過信

 もう1つ、災害と第2次世界大戦のメンタリティが似ている、と感じる点があります。それは「日本の技術力」に対する過信です。これは建築技術・医療技術の2点に特に如実に表れていると思います。

 日本の建築技術が優れている、とされる根拠は、東日本大震災は未曾有の規模の地震であったにもかかわらず、地震のみで倒壊した建物がほとんどなかった、ということです。日本が高い技術を持っていることは論を俟ちませんが、今回の建物被害が少なかった理由は本当に耐震設計のためでしょうか。

 例えば、東北地方はこれまで何回も震度6以上の地震を経験しています。宮城県では2003年にも震度6の地震を経験しており、この時の建物被害は宮城県内だけで全半壊21棟、一部破損2342棟でした*2。

 うがった見方をすれば、脆い建物は今回の震災前に倒壊してしまっていた、つまり生き残りバイアスがかかっている可能性もあります。東日本大震災においても耐震補強を施し十分な耐震性能を有すると判断されていた建物でも壊滅的な被害を受けた建物も存在します*3。

 つまり、現在の技術や対策が将来起こり得る、例えば都市の直下型地震に対して十分な技術である、という論拠はありません。これは南海トラフ地震の想定で最悪ケースにおける死者は23万人、各種防災対策を徹底しても6万人、という被害推定を見ても分かります*4。

 今の日本は江戸のハザードマップの真っただ中へ超高層ビルを建設し、オリンピック会場を企画し、災害経験のない何万人もの人々を呼び寄せています。

 私は詳しい建築技術に関する知識はありません。分からないからこそ、過去の歴史を振り返ります。そのうえで「安全神話」は果たして原発だけのことだろうか、という疑問が湧きます。そしてその疑問を唱える人が少ないことに一抹の不安をも覚えます。


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