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Tohazugatali Medical Review

216とはずがたり(2/3):2006/03/30(木) 02:08:24

 ●小異を捨てて
 新町の方針と村上医師の思いが大きくずれ、村上医師が辞職を決断するに至ったのはなぜか。新町の医療サービスの方向性を定めず、さまざまな財政優遇措置のある旧合併特例法の適用期限内での合併を急いだことがその要因の一つだ。
 新町のまちづくりの設計図となる「建設計画」では、医療政策について旧北檜山町に「準総合的医療を行える主幹病院」の設置をうたったが、予防医療に関しては、旧瀬棚町で診療所を中心に「必要性を認識」するにとどまり、具体的な肉付けを先送りした。
 合併協議は当初、今金町を含めた檜山北部4町で進められていた。しかし、04年1月に今金町の外崎秀人町長が「合併への思い、手法に認識の違いがある」として離脱を表明、3町が法定の合併協議会に移行した。
 3町とも人口減少、高齢者比率の増加と地方交付税減額が避けられず、合併は緊急課題というのが共通認識だった。ただ長年独立した行政機関として別の道を歩んでおり、細部を突き詰めれば合併自体が“瓦解”しかねない。合併が破談となった他の地域の轍(てつ)を踏まぬよう、「小異を捨て大同につき」、合併を実現させた。 旧3町の町長の中で、新町長候補は合併協会長を務めた内田東一・旧北檜山町長に“調整”された。しかし、民間出身の元旧北檜山町議、高橋氏が「しがらみのない新町政を」と訴えて内田氏を破り、新町長に就任。新町の青写真作りに参加しなかった高橋町長は文字通り「しがらみなく」、町政のかじを取り始めた。
 06年度の予算編成前の昨年11月、村上医師は高橋町長に、旧瀬棚町の実践を生かし、将来を見通した新町の医療体制づくりなどを文書で提案した。だが、その思いは、ついに高橋町長に届かなかった。

 ◇高齢者は町の財産 「安心守る」信念貫き−−村上医師
 「保健、医療と教育を連携し地域で知恵を出して予防医療に取り組めば、高齢者が元気で働ける町になる。せたなは、定年のない1次産業の町で高齢者は財産だ。医療の安全保障が何よりも大切」。村上医師の持論は、自身と副所長の吉岡和晃医師(36)、研修医の3人の医師、看護師、地域の保健活動を担う保健師5人がチームを組み、実践してきた。
 旧瀬棚町の住民にとって村上医師への信頼は絶大だ。同町内の主婦、加賀谷恵さん(27)は「こんないい先生に巡り合えたのに、残念でならない。財政難を医療に持ち込まないで」と訴える。
 加賀谷恵さんの義父は03年3月、肝臓がんで52歳で亡くなった。転院を繰り返していた義父は「自分のまちで死にたい」と希望し、最期の1週間、村上医師が瀬棚診療所に受け入れた。車椅子の義父は診療所の窓から日本海をながめ、「ああ、海だ。瀬棚に帰って来られて良かった」と話したという。
 恵さんには2人の子供があり、小児科のベテランでもある村上医師を頼ってきた。「安心して子育てが出来る環境だった。予防医療がどれほど大切か、いかに診療所が重要だったかを分かってほしい。子育てをしている私たちにとって死活問題」と、悲痛な思いを口にする。
 4月以降、瀬棚診療所の医師は吉岡副所長だけとなる。吉岡医師はいったんは退職届を出したが、「想像以上に住民の不安の声が高まった」ことを受け、残る決意を固めた。
 村上医師は今後、新潟県内の医療機関で地域医療に当たる。


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