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Tohazugatali Medical Review

2148とはずがたり:2013/10/12(土) 17:29:01

福岡市の病院火災 「大先生」地域医療に尽くし40年 医師仲間からも悼む声
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20131012021.html
産経新聞2013年10月12日(土)08:06

 福岡市博多区住吉の安部整形外科で11日未明に発生した火災。地域で40年にわたって医療活動を続け、患者から「大(おお)先生」と呼ばれた前院長の安部龍秀さん(80)も亡くなった。親身な診察で患者から厚い信頼を寄せられていたばかりでなく、日本臨床整形外科医会の理事長も務め、医師仲間からも慕われていた。

 「大先生は『痛かったでしょうね』って、まるで自分の家族のように声をかけてくれました。この辺では、何時間待っても大先生に診てもらいたいという患者さんばかりでした」

 5年前に車の運転中の交通事故で腕を骨折し、安部整形外科で治療を受けた近くの主婦、堅島加代子さん(70)はこう振り返った。

 九州大学医学部出身の龍秀さんは、昭和45年に現在の場所に診療所を開いた。以来、40年以上にわたって治療を続けてきた。

 平成21年2月に息子の龍暢(たつのぶ)さん(46)に院長を譲った後も、龍秀さんは認知症を患う妻の百合さん(72)と病院3階に住み、医療活動を続けていた。

 「大先生」の龍秀さんと、「若先生」の龍暢さん。アットホームな雰囲気の診療所で、特に長年通院している高齢者に対しては、看護師が「今日は大先生と若先生のどちらに診てもらいますか?」と希望を聞くこともあった。

 龍秀さんは機械的に治療をするのではなく、けがの理由を患者から聞いた。さらに治療中の風呂の入り方や、精神面のアドバイスもしていたという。

 患者一人一人に時間をかけて診察するため、2〜3時間の待ち時間は当たり前だった。それでも、患者は引きも切らず、連日150人もの患者が診療所を訪れていた。

 10年前から通院していた近くの主婦(60)は「大先生の誕生日の日に『長生きしてね』と伝えると『うん、まだまだ生きるよ』と笑顔で答えてくれたのに」と涙を流した。

 龍秀さんが活動するフィールドは広かった。

 平成8年から約6年間にわたって日本臨床整形外科医会(現・日本整形外科学会)の理事長を務めた。スポーツ選手の治療にも詳しく、大相撲九州場所で福岡に来た力士が、安部整形外科を訪れ、龍秀さんに診てもらうこともあった。

 院内の通路には、龍秀さんと政治家や芸能人らとのツーショット写真が並んでいたという。

 そんな龍秀さんは、福岡市医師会では代議員議長を務めたこともある。市医師会の江頭啓介会長は「世代は上だったが、てきぱきと物事を進め、頭のきれる人だった。裏表もなく医師会内での人望が厚かった。地域医療の充実に一生懸命取り組まれていたので、今後も若い医師を導く存在でいてほしかった…」と語った。

 龍暢さんの義父で歯科医の朝村敏美さん(77)は、午前5時ごろ火災の連絡を受け、長崎県佐世保市から駆けつけた。「龍秀さんは仕事熱心で、毎日夜遅くまで働いていた。立派な先生だっただけに残念でなりません」と肩を落とした。


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