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Tohazugatali Medical Review

1680チバQ:2011/12/07(水) 22:06:36
http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201112020259.html
感染症 HIV:3 「逃げるな」妻に諭される2011年12月3日
家族と生きていこうと、あらためて思った

 20代のころ、HIV感染にともなう肺炎を発症した30代男性は、約1カ月の入院を終えて自宅に戻った。退院の数日後から、抗HIV薬による治療が始まり、数種類の薬を組みあわせて飲んだ。免疫力は徐々に回復し、仕事にも復帰した。通院の回数も減っていった。

 妻は、家事も育児も、これまで通りの生活を続けていた。

 男性は、家族にうつらないように、神経をとぎすまして過ごした。HIVは、日常生活ではうつらない。頭ではわかっていても、生活の動作一つ一つに気を使った。

 入浴の前は、体に小さな傷がないか、毎日全身をくまなく調べた。体を洗うタオルを家族と共有するか、湯船に入っても大丈夫か迷った。歯ブラシの置き場所にも困った。歯磨き粉のチューブの口が歯ブラシに付かないよう、神経を使った。

 幼い我が子と遊ぶときも、爪でひっかかれないように注意した。自分専用のばんそうこうを買い置きした。

 「一人なら、ちょっとケガをしても普通に暮らせるのに」。だんだん余裕がなくなり、精神的に追い込まれていった。

 薬を飲み始めて1年が過ぎたころ、ささいなことで夫婦けんかをした。つい「もう別れよう」と口からこぼれた。

 妻は「逃げるな」と怒った。男性が家族からも病気からも、逃げようとしているように見えた。「つらい思いをしてるのは、あなただけじゃないのよ」

 妻も試行錯誤の毎日だった。事情を知らない親や、ママ友からはよく、「次の子どもは?」と聞かれた。生命保険会社の勧誘を断る時、何と言えばいいのか言葉に詰まった。家事の合間に、考えていた。

 男性は、何日か考えて、はっとした。自分だけつらいと思っていた。家族を見失っていた。「何やってんだ、おれ」

 それから、少し変わった。

 病気のことを、考えすぎるのはやめた。「大けがをしたときなんかに、きちんと処置すればいいのかなと思う」

 治療は、妻と二人三脚で続けている。食品関係の会社から転職して、いっそう仕事に精を出している。

 「薬もった?」。夜勤の日の朝は、いつも妻の声が飛ぶ。


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