したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

2007年参院選スレ

4367とはずがたり:2008/10/19(日) 01:40:47
>>3264 >>4365

〈混戦の裏表:5〉「風頼み」 保守と「W東」前面に
http://www2.asahi.com/senkyo2007/localnews/miyazaki/SEB200706290011.html
2007年06月29日

 「知事が変わり、宮崎県が変わり始めた。国政につなぐ役が必要です。『ダブル東』で東治男を使って頂きたい」

 28日朝、無所属で立候補を表明した東治男が宮崎市の国道沿いで声をからした。手には〈国政に東風〉と書いたのぼり。1月の知事選で東国原英夫陣営が使ったのと同じオレンジ色が基調だ。

 6年前に続く2度目の参院選。前回、東は33年間務めた地元テレビ局を辞めて立候補した。連合宮崎の主導だった。民主や社民などの推薦を得て、労組を後ろ盾にした組織戦を展開。「小泉ブーム」に乗った自民党公認の小斉平敏文に敗れたが、17万票余りを獲得して次点に食い込んだ。

 だが今回、東を取り巻く状況は様変わりした。
    ■
 その伏線は、04年参院選にある。再挑戦を期していたが、連合や民主など非自民勢力は、東ではなく元自民県議の松下新平の支援にシフトした。松下なら保守勢力の一部を取り込む算段がつく。

 東は立候補を断念。松下は自民現職を破った。

 東は昨年6月、民主の国会議員候補者の公募に応募したが、書類選考ではじかれた。昨年末には、今回の参院選に向けて、連合宮崎に推薦願を持参。やはり反応は鈍かった。非自民勢力は統一候補を探していたが、ある幹部は「東さんについては3年前にケリがついている」。

 連合側へのラブコールを袖にされた東は2月、記者会見を開き、立候補を表明した。5月上旬になって連合宮崎の幹部が訪ねてきたが、東は用件も聞かずに追い返した。

 非自民勢力が統一候補を前民主県連副代表の外山斎に決めた翌日の今月2日。宮崎市で東陣営の事務所開きがあった。陣営幹部があいさつで「(01年の)落選後も後援会を残したのは、連合の要請があったからだ」と暴露。「使い捨て」にした連合側への怒りを隠さなかった。

 東陣営は今回、「保守系」と名乗る。東国原知事を誕生させた「風」を頼りに、無党派層の取り込みに躍起だ。
   ■
 共産党新顔の馬場洋光は、4月末から小規模な集会に顔を出す毎日だ。「確かな野党を」と訴え、民主など他の野党との違いを強調している。街頭演説も重ね、顔は浅黒く日焼けした。

 3回連続の参院選への立候補。いずれも「反自民」を掲げて戦ってきた。選対本部長を務める党県委員長の津島忠勝は、「今度こそ馬場を国政に」と支持者たちに呼びかけている。

 津島が忘れられないのは、自民と事実上の一騎打ちになった98年参院選だ。自民に強烈な逆風が吹き、共産候補は選挙区で過去最高の12万票近くを獲得した。

 しかし馬場が初挑戦した01年は、民主と社民が「非自民」を旗印に初めて手を結び、統一候補として東を擁立。馬場は2万票余りに終わった。前回04年も3万票台と低迷した。

 非自民勢力が結集したため、反自民を掲げる共産が埋没しかねない状況が続く。津島は「風任せではない組織作りを進めないといけない」と引き締めている。=敬称略、おわり


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板