したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

全国温泉スレ

76名無しさん:2010/11/14(日) 13:34:54
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20101114ddlk06040056000c.html
追跡やまがた:白布温泉、来年開湯700年 節目の感謝祭でPR /山形

 ◇湯治客減少に歯止め

 西吾妻山系の山中、標高800〜900メートルにある「米沢八湯」の一つ、白布温泉。鎌倉時代末期に開かれ、来年6月12日に開湯700年を迎える。四季を通じ清流と自然を楽しめるが、99年には日帰り客を含め18万人を記録した湯治客は、ここ3、4年は3万〜4万人(市観光課調べ)と減少している。5軒ある旅館で組織する白布温泉旅館協同組合は、来年の節目を契機に温泉をよりPRしようと12年6月まで「開湯700年感謝祭」を企画している。【近藤隆志】

 白布温泉は、JR米沢駅から約20キロ、車で30分。毎分1500〜1600リットルと湯量は豊富。源泉温度が60度あるカルシウム硫酸塩泉だ。高血圧、動脈硬化、運動障害、神経痛、皮膚病、糖尿病などに効能があるという。

 正式には「白布高湯」といい、1312年、奥州藤原氏の重臣の家系で鎌倉幕府の御家人から出家して修業中だった佐藤宗純が、笹野観音幸徳院(米沢市)に導かれ温泉を発見したという。この開湯由来が文書「温泉濫觴(らんじょう)湯神創伝記」として残っており、全国でも珍しい。江戸中期ごろからは、最上高湯(山形市、現在の蔵王温泉)、信夫高湯(福島市、現在の高湯温泉)と共に「奥羽三高湯」と称された名湯の一つだ。

 その開湯家系の38代目で、同温泉旅館協同組合理事長で東屋館主の宍戸康裕さんは「薬師如来を祭り、戦傷兵や武士らの湯治場として続いた。『天地人』の直江兼続のころには鉄砲の秘密製造所。以降、上杉藩主の庇護(ひご)もあり、江戸時代の元禄や文化文政期には一般町民も訪れ、明治以降も栄えてきた」と話す。

 3本の源泉は温泉街から500メートル上にあるが、ここには、100年ごとに祭られた6体の「身代わり地蔵」が鎮座している。感謝祭最大の事業は、来年6月12日の「源泉祭」で、ここに新たな100年に向けて新しい「身代わり地蔵」を建立し祭ることだ。また、源泉地へ歩道を整備し訪れた温泉客ら参拝できるようにする予定だ。

 感謝祭実行委の西屋社長の遠藤友紀雄さんは「温泉パワーを感じてもらうため温泉熱で石を温めた腰湯も企画中。源泉地をパワースポットにと考えている」と意気込む。

 このほか、温泉とゆかりのある市内の神社や寺など7カ所を回ると無料宿泊券や米沢織の浴衣などが当たるスタンプラリーは既に実施中。温泉街脇の最上川源流の清流、大樽川にある落差50メートルの「白布大滝」への遊歩道改修整備も08年から続けており、来年には行きやすくなるという。また、周辺の植林や植栽も図る。

 宍戸さんは「山の温泉と地元の皆さんに親しまれ育ててもらってきたことに感謝している。これからも親しめる温泉地として、今の時代に合った温泉文化を発信したい」と話している。

毎日新聞 2010年11月14日 地方版


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板