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スーフィズムに関するHP

999チバQ:2015/07/30(木) 22:11:17
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date1&k=2015073000025
謎多き「隻眼の指導者」=宗教国家復活へテロ闘争-オマル師


 アフガニスタンの反政府勢力タリバンを率いたオマル師は「隻眼の指導者」として知られた。2001年のタリバン政権崩壊後はアフガン政府や駐留国際軍へのテロ攻撃を続けていたが、消息は不明のまま。実体は多くの謎に包まれていた。
 タリバン公表の「伝記」によると、南部カンダハル州で1960年、信仰心の厚いパシュトゥン系の貧しい農家に生まれた。宗教学者を目指していたが、79年の旧ソ連によるアフガン侵攻を機に対ソ「聖戦」に参加。愛用の対戦車ロケット砲「RPG7」で華々しい戦果を上げたものの、戦闘で右目を失った。
 92年に旧ソ連のかいらい政権が崩壊すると、武器を置き、イスラム神学校を設立した。しかし、腐敗した軍閥同士の争いに憤慨し、94年に教え子らと「神学生」を意味するタリバンを組織。宗教国家建設を目指して蜂起した。
 内戦で疲弊した民衆の支持とパキスタンの支援を受けてわずか2年で首都カブールを制圧し、新政権を樹立。しかし、女性の教育や社会進出の禁止など極端なイスラム化政策を取った上、中部バーミヤンの石仏像を破壊し、国際社会から批判を浴びた。
 01年9月の米同時テロ後、首謀者ウサマ・ビンラディン容疑者をかくまい続け、米英軍主導の攻撃によるタリバン政権崩壊を招いた。
 04年にパキスタンのジャーナリストの電話インタビューに応じた際には「ウサマは偉大なイスラム戦士で、かくまったことに後悔はない」と言い切った。さらに「米兵や米国に味方する者全員を豚同様に狩る」と敵意をむき出しにした。
 政権崩壊後は拠点を転々と変え、肉声も公開されなかった。潜伏先のパキスタンからテロを指揮し、米国は懸賞金1000万ドル(約12億円)を懸けて行方を追っていた。(2015/07/30-06:38)

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date1&k=2015073000023
タリバン最高指導者死亡=2年前、パキスタンで-内部分裂で和平に影響も・アフガン


 【ニューデリー時事】アフガニスタン大統領府は29日、反政府勢力タリバンの最高指導者ムハマド・オマル師が2013年4月にパキスタンで死亡したと発表した。死因については言及していない。オマル師の死亡説は過去にも報じられたが、政府が公式に認めたのは初めて。タリバンは公式声明を出さず、沈黙を続けている。
 最高指導者の死亡が発表されたことで、タリバンの内部分裂が進むのは確実だ。一部はアフガンやパキスタンで勢力を拡大する中東の過激派組織「イスラム国」に流れ、治安悪化に拍車が掛かる恐れもある。
 大統領府は声明で「信頼できる情報に基づき、オマル師の死亡を確認した」と発表。「これを機に和平プロセスに参加するよう全武装勢力に呼び掛ける」と述べた。
 これに先立ち、アフガン国家安全保障局のセディキ報道官は時事通信の取材に「オマル師は13年4月、パキスタン南部カラチの病院で不審な死を遂げた」と語っていた。パキスタン紙などが報じたところによると、オマル師は結核で死亡し、アフガン南部ザブール州で埋葬された。
 一部情報ではタリバンは31日、パキスタンでアフガン政府代表団との2回目の和平協議を予定していた。7月上旬に行われた1回目の協議後には、交渉を正当化する内容のオマル師の署名入り声明を発表していた。
 アフガン情勢の専門家は「トップの死亡が明らかになったことで和平協議の正当性に疑義が生じ、強硬派が勢いづくのは間違いない」と指摘。「今後の方針をめぐって穏健派との対立が激化し、和平プロセスに影響を及ぼすだろう」と話している。(2015/07/30-07:26)


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